無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

バガボンド

バガボンド(7)(モーニングKC)

バガボンド(7)(モーニングKC)

 「スラムダンク」というのは実に幸福な作品だったと今でも思う。実力のある作家が自分の好きなテーマを思うように描き、物語のテンションが上がると共に爆発的な数の読者を魅了していった。その渦中にいたものにとってはまさに至福の時であった。もともと大筋のプロットはシンプルな作品であったために、ストーリー(と、キャラクター)が一人歩きするまでに成熟すると、作家のテンションを維持するのはかなり困難になる。そうした場合、多くは作画の技巧、緻密さに熱意が向けられていくことになる。「スラムダンク」で言うと、最後の対山王工業戦は全く先が読めない試合展開とも相俟って、画面からにじみ出る作者の狂気とも言える筆致はグングンと加速していった。読む側としても、これ以上は無理なのではと思った時に、あっさりと連載は終了した。作者と、そして編集側の最後の良心であったのだと思う。思えばあれを機会に僕はジャンプ購読を一時期やめたのだった。
 さて、もともと絵は上手かった作家がその才を開花させた後にどういう作品に向かうのか。実際、それはかなりの期待を集めていた。「BUZZER BEATER」というリハビリ作品を間に挟み、井上雄彦がモチーフとして選んだのは「宮本武蔵」であった。正直、連載当初この作品に違和感を覚えた人間は少なくないはずだ。バスケの後に剣豪?歴史もの?何故?と。しかし読み始めるとその疑問は瞬く間に消える。面白い。ストーリーが、ではない。ない、ということはないが、それだけではない。さらに加速度を増した圧倒的な画力。吉川英治による「宮本武蔵」という原作が、ともすればこの漫画のためにあるのかと思わせるほどの説得力が、この絵にはある。しかしはっきり言って、なんでも良かったんだろうと思う。自分の絵を試せれば、自分の作画の限界に挑めるものであれば、宮本武蔵でなくても良かったのだろうと思う。ただ、作品に対しては自分の画力にのみ注力したい、ということからすれば原作ものにした理由は良くわかる。そこまでして作者はこの作品で自分の絵の限界、マンガの表現力の限界に挑戦したかったのだろう。単行本7巻、宝蔵院胤舜との2度目の対戦に挑む直前、冬の森の中で佇む武蔵。見開き2ページのこの絵からは作者の気迫そのものがびっしびしと伝わってくる。これが書きたかったんだろうなあ、きっと。台詞は少ないが、その絵を隅々まで眺めるだけであっという間に時間が経ってしまう。なんというか、武蔵とともに作者も修行しているような、求道的な匂いをこの画面からは感じることもできる。ある意味では読者という存在を無視した作品でありながら、「スラムダンク」にも匹敵する読者を獲得した作品。これもまた、幸福な作品なのだと思う。
 とはいえ、主人公・武蔵のキャラクター付けや、ふっと息抜きの笑いを差し挟むあたり、作者の現場感覚はそれほど鈍っているわけでもない、と思う。ストーリー進行の遅さは多少気になるが。