無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

ジェネレーション・テロリスト

Enemy of the Enemy

Enemy of the Enemy

 2001.9.11以降、世界中のアーティスト達があの事件に直接的あるいは間接的に影響を受けて表現に向っていかざるを得なくなってしまっている現在、僕はなぜ今レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンというバンドがこの世にいないのだろうと思う。しかし、まだエイジアン・ダブ・ファンデーション(ADF)がいる。
 このアルバムのテーマはまさに反アメリカ、反グローバリゼーションということであり、まさに今の世の中にシンクロしているわけだけれども、よく考えれば彼らは97年のデビュー以来、一貫した姿勢で音楽を作ってきたのだった。言われない差別を受ける有色人種、家庭内暴力に耐える女性たち、権力に殺されてゆく多数の囚人達。彼らの音楽のパワーはすなわち虐げられた者達の怒りである。ディーダーが脱退し、今後を不安視する向きもあったが、今の世界情勢を見ると ADFの新作がここで出ることは全くもってジャストのタイミングであり、メンバーが入れ替わっても彼らの政治姿勢に変わりがない限りADFはADFであると言う事実がはっきりとわかるアルバムになっていると思う。
 エイドリアン・シャーウッドによってビルドアップされたダブサウンドは、低音と高音がパキっと分かれ、鋭いエッジを持つものになっている。それはまるで鋭角な刃のようだ。音楽は彼らにとって、自らのステイトメントを発信するための手段であると同時に、世界と対峙するための武器でもあるのである。ADFの中にある要素は、ダブも、ヒップホップも、レゲエもラガも、全て自分達の中に元々あったものだ。メッセージと、それを伝える手段、両方とも自分達の出自に正直に、ここまで純度の高いものとして発信するバンドは稀だろう。つまりはそれは音楽の持つ説得力となる。前作『コミュニティ・ミュージック』が享楽性の高い、みんなで一つになろう的なものだったのに比べ、今作はサウンドもメッセージもバキバキのガチンコ勝負である。かと言って肩肘張ったものではなく、音だけ聞けば自然と体が動き出すような高機能ダンス/クラブ・サウンドになっているところが素晴らしい。その中で、シンニード・オコナーがボーカルを取る「1000ミラーズ」の美しさが非常に耳に残る。