無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

世界と個をイコールで繋ぐ。

equal (CCCD)

equal (CCCD)

 ACIDMANはデビュー以来一貫して意識的に高い思想的意義を音楽に投影してきた。哲学的と言ってもいいのかもしれないが、個人が世界と対峙するためのイデオロギーを大きなテーマとしてその音楽(ビジュアルもだが)を創作し続けてきたと思う。3作目の本作は、そのテーマが最も強く、そしてトータルで完成された形で表現されている。
 簡単に言えば、ぱっと聞いただけではとっつきにくいアルバムになっていると思う。1枚目からそうだといえばその通りだが、インスト曲がアルバム中重要なポイントに配置されていたり、曲のタイトルも記号のようで観念的なものが多いし、歌詞そのものが上記のようなテーマを扱っていて抽象的な表現が多い。わかりやすい希望や恋愛や自己探求などはここにはない。言ってしまえばこれはコンセプトアルバムだ。彼らの表現は音源のみならず、映像やライブ、様々なメディアを通じて総合的に成り立っているものだ。その中でアルバムというのは音楽部分(もちろん、それが最も大きいものではあるが)を担っているという位置付けなのだと思う。そのために必要なものを盛り込み、不必要なものを排除していった結果が本作であると言えるのではないか。
 言うのは簡単だが、ここまで来るプロセスは決して平坦ではなかったはずだ。バンプの『ユグドラシル』の時にも似たような感想を書いたけれど、ぶっちゃけバンドが空中分解するようなきわどい瞬間も何度かあったはずだと思う。そのくらい一本筋の通った信念が全編通じて貫かれている。受け取る側にとってもこの敷居は決して低くないと思う。ただ、彼らの奏でるテーマと自分のアンテナが共鳴した時にはもう抜け出せないほどの深いテーマが見えてくると思う。先に世界と個人が対峙するためのイデオロギーと書いたが、アルバムが進むにつれベクトルはどんどん内に向かって行き自らの内的世界の奥の奥へと潜っていくような感覚に陥る。9分以上に及ぶ終曲のタイトルはまさにそれを表しているだろう。外との関係を図るために内にある核に触れること。それにより、また視点が外へ向いていくという無限のループ。このアルバムが光を指し示すのならば(僕はそう思っているが)、このプロセスそのものがそうであるということなのじゃないだろうか。ACIDMANで最初に聞くならと言われたら迷わず『創』を薦めるが、彼らと自分のアンテナが共鳴したのなら最も深く染みるのがこのアルバムだと思う。
 ACIDMANを聞いているとロックにはまだまだ表現できることがある、という可能性と確信を感じる。つまり、プログレッシブということだ。冗談や言葉遊びではなく、そう思う。