無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

氣志團現象最終章@東京ドーム

氣志團 氣志團現象最終章−THE LAST SONG−
■2004/11/27@東京ドーム
 ツアー最終日を1週間後にして突然飛び込んできた星グランマニエ重傷のニュース。大阪と福岡の公演を延期し、彼らが決死の覚悟で臨んだであろう東京ドーム。いろいろなことが頭をよぎるが、全ては会場に行って目撃するしかない。というわけでひとっとび東京ドームへ。開場時刻の30分ほど前についたのだけど、会場の周りはグッズ売り場に並ぶ人の列ですごいことになっている。札幌で買っといてよかった。さすがに東京ドームともなるとコスプレ率、そしてそのクオリティの高さも並ではない。みんな気合入りまくり。ランマのことがあってか、Tシャツなどもランマカラーのオレンジを着用している人が多かった気もする。やや定刻から遅れて開場。まあ、指定席だし慌てて入場することもないのでゆっくりと中に入る。ドームだけあって弁当など売られていた。6色のおかずに氣志團特性塗り箸がついた「氣志團弁当」を購入。昼メシ食ってきたんだけど、まあいい。食べて、ビール飲みつつゆっくり待つ。
 開演。そしてそこで起こったことといえば、基本的には札幌で見たものと全く同じことだった。いや、全く同じではない。もちろん。単に、やった曲や流れた映像や、構成は基本的に全く同じものだったということ。片乳ポロリ&片チンポロリ風船での松とユッキ入場など、おそらくは東京ドームでしかやらないであろう演出などもあったが、それはこのGIGの全体像を見るのにはあまり関係がないことだ。結論から言うと、氣志團はやった。やり遂げた。もちろん、彼らが望んだ本来の形ではなかった。ランマの不在という大きな事実を隠すこともなく、悲嘆することなく、そこに何がしかのドラマや逃げ道を用意することもなく、自分達のGIGをこなしていた(もちろん、その陰にはサポートで入った阿部義晴の貢献も大きいだろう)。ランマの映像を使用する部分もあったがそれもこれ見よがしにその事実を強調するのではなく、自然な成り行きとして用いられていてよかった。「Secret Love Story」のランマボーカルの部分で彼のアップが出たときは、普通に見ていたらそこに彼がいるような気すらした。

「ライブハウス、東京ドームへようこそ」

 彼らの世代でバンドを目指した人間誰もが一度は言ってみたいこのセリフを、彼らは実現した。そこに真正面から立ち向かい、最後までやり遂げたのである。エンドロールのあと、ラストの「127號線」では團長がランマのギターを弾いていた。なので、どうしても彼の振り付けは制限されてしまったのだが、その分光が大きく動き回り、その違和を感じさせなかった。いや、違和はあったのだけど、結局それがどうした、というものだったのだ。どんな状況においてもやるべきことをやる。その先にピリオドの向こうはある。氣志團全力の思いは、あの日間違いなくドームの中にあった。
 ラスト、「涙BOY涙GIRL」をバックにドームを1周する彼らの姿は本来であれば氣志團現象のフィナーレとして輝くはずだった。もちろんこの日、そうでなかったとは言わないが、来るべき2公演の振替公演(しかしそこにもランマはいないのだが)があるため、純然たるフィナーレとはならなかった。そしてもちろん、それを最も強く感じているのは彼ら自身だろう。「また、会おうぜ」というメッセージは、(いつか)という言葉ではなく、(絶対に)という力強い決意が込められていると思った。ピリオドの先の先へ。氣志團がまた僕らの前に姿を現し、新たな現象を作り出してくれることを期待してやまない。
 最後にひとつ。綾小路翔がMCで言ってもいたが彼らのCDセールスだけを見れば東京ドーム公演などできるわけがない。それでもこの日あれだけの人でドームが埋まっていたのはそれほど氣志團に入れ込んでいるわけではない客層もいたからだ。それはまあ当然のことで、そのせいもあってかラストの「127號線」の前でかなりの人が席を立っていた。トイレというのではなく、帰っていた。そういう言うなれば浅い層をも巻き込んでの氣志團現象であったことはもちろん頭では理解できるのだけど、少なくとも札幌ではほとんどそういう光景を見なかっただけに驚きと同時に残念な部分もあった。ここで終わっちゃいけない。終われるわけもない。まだまだやるべきことはいくらでもあるのだ。