無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

ロックだもの。たみを。

LION

LION

 DSLとのレコーディングもあるが、基本的には海外にて『29』の頃からの付き合いであるチャーリー・ドレイトンなどとの共同作業で製作されている。音も言葉もメロディーも余分なものを(余分じゃないものも)排除して練り上げられていて、一つ一つの音の密度が非常に濃い。歌詞もそうだ。もうほかに取り替えようのない言葉がピンポイントで過不足なく選択されている。「何と言う」「スカイウォーカー」「アーリーサマー」「フェスティバル」あたりはもうなんというか、彼にしか生み出せない境地であるし、ロックというサウンドに乗せる日本語詞としてみればこれは芸術の域だと思う。そして「サプリメン」「プライマル」あたりの流れはもう民生史上最高とも言えるロック的興奮を味わえる。そして何度繰り返し聞いても、充足感とものたりない感が交互に襲ってくる。結果として圧倒的な満足感に浸らせてくれるのではあるけれど、最初から意図的に大事な部分を抜き取っているかのようなアルバムである。
 言いたいことや伝えたいことをはっきりと前面に打ち出し、スキのない音で作り上げることももちろん民生はできるだろう。そこまで完璧ではないけれども前作『E』はストレートな曲も多かったし、一枚のアルバムとして構成も考えて作りこまれたものだった。本作の方向性はその反動という向きもあろうが、もっと貪欲に本質に迫ろうという民生の執念(もちろんそれは迫れるだけの音楽的蓄積を得た確信があってのことだが)を僕はそこに感じるのである。例えるなら100 点満点を目指して75点でした、というのではなく、あえて全ての解答を書かずに、しかし書いたところは全て正解で結果75点でしたという感じ(75点というのはあくまで例えであってこのアルバムに対する僕の評価を示すものではない)。その足りない25点というのはロックという音楽が存在するために、常に追いかけ続けなければいけないものではないかと思う。ロックであるためにあえて民生はそこを外したという気がするのだ。ホワイト・ストライプスストロークスのように自分たちの音楽にある種の制限や枠を与えるミュージシャンもいるが、言ってみれば民生のやり方もそれに類似するものなのかもしれない。
 彼の音楽がとてつもないスケールを持つ本質的な意味でのロックであるということを静かに、そして確かに示して見せた傑作であると思う。でもこのアルバムがソロ10周年を迎えた彼の集大成であるとか、ひとつの金字塔であるとかはとは全く思わない。民生の歩みはまだ続く。39才の彼が2004年に出したアルバムというだけなのだ。すばらしい。