無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

サンボマスターは何を語りかけるか。

 とても美しく、切ないアルバムである。
 前作からの大きな違いは、タイトルにもあるように特定のリスナー、つまりは彼らのファンに対して非常に自覚的に音と言葉を届けようという意思が全編に漲っているところだろう。しかし、具体的に聞き手への共闘を呼びかけるようなタイプの曲は「歌声よおこれ」くらいである。むしろこの曲はアルバムの中では異質なものといえるだろう。(ライヴでの印象は違うかもしれないが、)彼らの曲は力任せに転がすようなものではない。きっちりと作られたメロディーと凝ったコード進行が根幹を成す、非常にソウルフルなものだ。基本的には大勢で盛り上がるというよりも一人で噛み締める部類のものだと思う。
 実際、彼らの曲の中に明確な政治的アジテーションや人生の指針としての有効なメッセージがあるわけではない。ない、と言ってしまうとアレかもしれないが、少なくとも僕にとってはそれほどのものはない。そもそも彼らが歌っているのはほとんどが「あなた」という2人称に対する想いであり、自分と「あなた」との関係に対する妄想である。それでいて山口が「世界を変えたい」などとブチ上げるのは一見奇矯にすら思えるが、これもまたつまりは「汝の隣人を愛せよ」ということであるのではなかろうか。結局は半径何mかの出来事をどうにかすることぐらいしかできないのである。隣にいるあなたにだって伝わるかどうか判らない。そんな思いを声の限りに叫ぶしかないのである。ロックというのはそういうものだ。サンボマスターは実に正しいロックバンドだと思う。ロックというものの無力さを悲しいほどよく知っている。「ロックンロールバンドなんかに自分の人生を委ねたりしないでくれ」と、とある外国のバンドは歌っていたではないか。
 サンボマスターが僕に語りかけているとしても、僕は彼らに自分の欲望を捧げようとは思わない。「週末ソウル」を聞きながら隣にいる彼女に微笑むことぐらいしかできない。ここまで不器用で無防備で恥ずかしいくらいに理想を追い求めるバンドを前にして、僕は興奮するというよりもとても切ない気持ちになる。こんな気持ちにさせてくれるのはロックという音楽だけである。