無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

眩しき虚像。

薔薇とダイヤモンド

薔薇とダイヤモンド

 非常に湿った日本的叙情性と文学的な歌詞が歌謡曲とロックの間でキリキリと擦れあっていた前作にくらべると、この2ndアルバムは歌謡曲的な要素がグッと前面に出たものになっている。それはもちろん意図的なものだ。メロディーやアレンジはポップな展開を見せ、単色的だったサウンドの雰囲気もカラフルに広がっている。中田裕二はポップスターになりたいと公言してはばからないフロントマンであるが、いよいよこのアルバムでその野望に向けて具体的な攻勢に出たということだろう。
 「スター」という言葉は非常に観念的であるが、中田の目指しているのはグラマラスで妖艶な、立ち込めるドライアイスの中スポットライトを浴びキラキラの衣装で歓声を受け光り輝く大衆文化としてのそれではないかと思う。かつてイエローモンキーが洋楽をルーツとした大文字のロックとして体現したものを歌謡曲よりにシフトしたようなイメージと言えるかもしれない。事実、顔つきから何から中田の放つオーラは前作時から変わったと思う。
 しかし。このアルバムの、あまりにも耽美的でナルシス一歩手前の恋愛描写に僕は感情移入することが出来ない。眩しすぎて逆に引いてしまうのだ。ここからは中田裕二という人の内面は見えない。きらびやかなステージの上でスターを演じ切るという強固な意志があるのみである。それはそれで清々しいのだけど、万人を納得させるポップネスを得るにはにはもうひとつ突き抜けた何かが必要なんじゃないだろうか。少なくとも僕はちょっと物足りない。アプローチがやや一面的過ぎる気がするのだ。
 僕は、ポップスには毒と闇が必要だと思う。