無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

月くんに捧ぐ。

DEATH NOTE (11)

DEATH NOTE (11)

 終わった。何はともあれ、終わった。
 実は、僕はどちらかというと月に感情移入していたので、最後の最後までどこかで月がどんでん返しを演出してくれるのではないか、という期待を持っていたのだけどそれは適わなかった。第2部になってからの月が終始後手後手であったのはこの破滅の前兆であったのか。それは分からないが、この作品の一つのテーマはクライマックスでのニアの台詞に集約されただろう。「二人ならLに並べる 二人ならLを越せる」。Lという、ニアとメロにとっての憧れであり目標であった存在を殺したキラを、それぞれが1人ではかなわなかったにしろ、2人だから勝てたという、いかにもジャンプ的なこの台詞。それに対し月は、周りにいた優秀な人間を全て手駒にすることしか考えず、自分の力を信じすぎたためにそこに溺れ、敗北した。思えば、第1部はLと月の一騎打ちで、どちらかと言えば月に有利な視点で物語が進行していたように思うのだけど、第2部ではそれは逆転する。表と裏のように第1部と第2部は存在していた。この構成を最初から見越していたわけではないと思うが、終わりよければ何とやら。逃げ出さずに最後まで書ききった大場つぐみ小畑健はえらい。
 しかし、この物語で一番可哀想なのは実はミサミサなんじゃないだろうか。元々は両親を殺された天涯孤独の身であり、月に利用されるだけ利用されて(月がキラである記憶を奪われたまま)、その最愛の存在である月も死んでしまう。2度死神と目の取引をした彼女は、元の寿命が80歳だとしたら30半ばで死んでしまう計算だ。ラストシーンの彼女の表情を見ると、同じ過ちを繰り返ししてしまう人間の弱さというものを感じてしまう。作中の彼女がすべからく明るくおきゃんな言動だったことを思うと、このラストシーンの哀しみはひときわ大きいものに感じられる。ラストの蝋燭の炎を希望と取るか、あるいは逆か。見る人によってその意味は変わるだろう。こういう味わいを残すラストを描いた作品はジャンプ系では非常に珍しいと思う。
 これから先、実写映画化やゲーム、小説など、本編のマンガは終了してもその世界は広がっていくようだ。しかし僕はこの作品についてはそういったメディアミックスにはあまり興味がない。7月に出る最終12巻を待って、繰り返し繰り返し第1巻から読み返すことだろう。それで十分ではないか。テレビアニメ化の話もあるらしいけど、日本テレビ系の深夜枠で放送されるなら見てもいい。とにかくこれで月曜日の楽しみがひとつ減ってしまったことは確か。