無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

草の根の意思。

ファンクラブ

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 昨年に続き今年もNANO MUGEN FESを開催するなど、その世界は広がり続けているアジカン。そしてそのFESが象徴しているように、自分たちがシーンを牽引しているという自覚をもって新たなアーティストやバンドとの「繋がり」を彼らのファンベースの大部分であろう若いリスナーに向けて発信していこうという意思がその活動には見える。
 それは不遜でも自信過剰でもなんでもなく、使命感なのだと思う。誰か、それをできる人間がやらなければならない。そして、それをできる立場にある自分たちがやらなければならないという使命感。たまたま自分たちだったのか、それとも、自分たちでなければならなかったのか。そう聞いたら彼らはどう答えるだろう。後藤正文は本作の歌詞の中で今までよりも語りかけるようなニュアンスの言葉を多用している。その対象となっているのは、部屋の中でひとりヘッドホンで音楽を聞いているような、そして夢はあってもどうしていいのかわからず悶々としているような、おそらくはかつての彼なのだ。自分がかつてヘッドホンの向こうから受け取ったものを、今度は自分が次の誰かに向けて発信し、繋いでいくこと。そういう意味でアジカンの活動はきわめて優等生的であり、生真面目なものだと思う。
 「僕の両手にはこれだけだよ」。そんな冷静な自己分析こそが彼らの武器なのじゃないだろうか。音楽的には、リズムにもギターのフレーズにもメロディーにも新機軸と言える試みがあり、演奏も確実に進歩していると思う。そういうところも真面目だと思うし、今の日本のロックというものをリアルに反映している存在なのかもな、と思う。