無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

かつて「alternative」だったもの。

Stadium Arcadium

Stadium Arcadium

 『カリフォルニケイション』を経て『バイ・ザ・ウェイ』に続くレッチリの復活と成熟のドラマは、「ニルヴァーナ」以降のロックにおける最もドラマチックな物語のひとつだった。その主人公はもちろん、ジョン・フルシアンテというギタリストであった、と思う。そんな無敵の栄光を謳歌していると思っていたレッチリにも、実はバンド内の軋轢や葛藤があったようだ。フリーがバンドを辞めるかもしれないというほどの緊張を乗り越えて作られたこの2枚組は、前述のドラマなど関係なく、生身の4人のミュージシャンが力を合わせて作った純粋な「音楽」としての力をまじまじと感じさせるものになっている。
 全28曲、120分に及ぶ大作を通して聞くのはかなりの集中力と体力がいる。が、このアルバムはそうしなければならない、というものではないと思う。例えば、スマッシング・パンプキンズの『メロンコリーまたは終わりのない悲しみ』のように、あの曲順で聞くことで感動を与えられるようなものではない。どの曲順で聞いてもいいし、途中でやめてまた途中から聞いてもいい。そうすることでこのアルバムの意味が変わるものではない。そのくらい、フラットに、どこを切っても高水準の曲とアレンジと演奏がある。もちろん、全体を通しての流れというものが無いわけではないが、このアルバムの意味はそういうところにはないと思う。
 レッチリらしい、フリーのファンキーなベースがバキバキに跳ねる曲が少なからずあるのが個人的には嬉しい。今回はジョンのギターもかなりソロを多用しており、前作までのように実験的なフレーズやアレンジで緻密に構成しているような印象は少ない。メンバー全員が奔放に音楽をぶつけ合って完成したという感じだ。アンソニーがこんなに全編「歌って」いるアルバムも過去に例がないだろう。
 レッチリというバンドが20年間で何を喪失し、何を獲得してきたのか。なぜ、この4人になったのか。なぜ今この4人でなければならないのか。バンドの歴史そのものが、どの曲にも刻み込まれている。ただただ、それが素晴らしい。レッチリがかつて醸し出していた異物感はここにはない。極めて全うなロックがあるだけだ。それを悲しむ必要など、どこにも無い。