無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

おんがく。

Sensuous

Sensuous

 小山田圭吾の御尊父である「和田弘とマヒナスターズ」の故・三原さと志氏が昨年亡くなった際、喪主を務めた小山田圭吾は「父がいなければ自分が音楽の道に進む事もなかった」と言ったそうだ。一見、小山田のやっている音楽とマヒナスターズには共通項は無いように思えるし(『69/96』で共演したことはあったが)、フリッパーズ時代の小山田がこのようなセリフを言ったら冗談にしか聞こえなかっただろう。しかし、今では素直に受け入れられるのである。
 前作『point』から実に5年ぶりだが、基本的な音のイメージはさほど大きく変わってはいない。自然であれ、人工的な機械の音であれ、自分の身の回りにある「音」を(一見無機質的でありながら)有機的に絡み合わせることで澄み切ったサウンドスケープを実現している。前作の時にも思ったが、聞いていると血液がサラサラになるような快感を覚える。言葉は隙間のあるサウンドと同様に文章としてではなく単語、あるいは音節にまで分解され、発音の面白さそのものを一つの楽器として使う(「Gum」)など、詞としての役割は薄い。が、シングルの「music」や「breezin'」などは、その発語自体がサウンドとシンクロし、何とも言えない爽快感を生み出している。分かりやすい形でマスアピールできる音楽ではないのでセールス的にはどうかは疑問だが、一回聞けばサウンドの魅力がすっと体に入ってくる音楽だと思う。ともすれば環境音楽にまで行ってしまいそうなサウンドなのだけど、ギリギリのところできちんとポップという砦を守るセンスは流石と言う他ない。
 先日、3歳の姪っ子が読む絵本を見ていて、ひらがなばかりで簡単な言葉しか使っていないのに、その内容が非常に示唆に富み、大人が読んでも色々と考えさせられるものが多いことに気がついた。本作は、簡単に言えばそういう音楽ではないだろうか。前作の時にも思ったが、それはきっと彼が人の親になったことと無関係ではないだろうし、冒頭の話もここに繋がってくるのだと考えている。まだ縁の無い話だけど、胎教に使うならこういう音楽がいいのかもしれないと思う。