無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

恋愛という名の宗教。

RADWIMPS4~おかずのごはん~

RADWIMPS4~おかずのごはん~

 RADWIMPSの曲、つまりは、野田洋次郎の書く曲というのはそのほとんどがラブソングだ。そして、そのラブソングは、よく言われているように、彼にとって大切な一人の女性との関係を歌ったものがほとんどである。古今東西、恋愛というのは大衆音楽における最もありふれたテーマであり、ソングライター自身の体験を元にした曲とて何も珍しくはない。そもそもその場合、相手のことを惚気られても、失恋の痛手を惨めたらしく語られても、聞いている方にとっては犬にでも食わせろという以外のなにものでもない。ポップミュージックである以上、曲のモチーフが自身の体験であっても、それが聞き手にとって共感しうる普遍的なストーリーとして描かれなければ成立しない。RADWIMPSの曲が素晴らしいのは、恋愛というテーマが、表面的な感情の揺れ動きに終始することなく、もっと深いところまで突っ込んでいるところだと思う。
 単純に好きとか嫌いとか、あるいは性的な欲求とか、そういうところを過ぎて、この人といると自分自身が成長できる、あるいは人生が豊かになる、そう思える相手に出会ってしまうと、「恋愛」という言葉を使うのが安っぽく思えてしまうことがある。恐らく、野田の経験している恋愛もそういう類のものなのではないだろうか。そして、その経験が濃密であればあるほど、喪失した時のショックもまた大きい。「有心論」という名曲は野田が彼女と別れたときに生まれた曲だが、ベタベタのラブソングなどでは全くなく、どこか俯瞰した視点があることが素晴らしい。ボキャブラリーの豊かさも凡百のラブソング以上の意味を楽曲に与えている。メロディーからはみ出そうな言葉の多さは野田の感極まりの密度ゆえである。そして、その言葉とメロディーは、35歳の既婚者を涙させるに十分な破壊力を有している。恐るべき21歳だと思う。
 野田は曲の中で、彼女のことを神にも等しい存在として神格化している。野田にとっては彼女に出会ったこと自体が運命であり、彼女との恋愛は宗教的な意味すら持ち得る崇高な体験なのだ。その個人的な体験を曲にすると、それは万人にとって心打たれる普遍的なストーリーとなる。「ふたりごと」も「バグッバイ」も、21歳の若造が作ったとは思えないほどに人生の真理に踏み込む名曲だと思う。