自棄なのか狙いなのか。
- アーティスト: 氣志團,木更津サリィ,早乙女ニコライ堂,Tommy&The Bonjaskys,ランマとなかまたち,colophony,The Beauty Colosseum
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 2007/03/28
- メディア: CD
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ただ、これはそんな分かりやすい結論の作品ではないと思う。少なくとも、團長はじめメンバーもここで氣志團を終わらせるつもりなど毛頭ないだろう。氣志團としての活動が行き詰まりを見せてくる中で、綾小路翔の頭の中にはこのままではいけない、という危機感、焦燥感はあったのだと思う。氣志團に対しての刺激剤という意味も含めてのDJ OZMAなのかもしれないが、正直僕にはあの活動の意味は良くわからない。ただ、氣志團がバンドとしてもうひとつ向こうに行くためには、個々のメンバーの底上げが必要だったとは言えるだろう。GIGでは各メンバーのソロパートなどもあったが、ここまで音源ではっきりと行ったのはそれなりの意図があってのことだと思う。
翔ヤンは最も氣志團のイメージに近いヤンク・ロック。ランマも、これまでアルバムの中で聞かせてきた胸キュンナンバーをきっちり聞かせている。トミーはギタリストらしいブルージーなロック。ユッキはハイテンションなポップ・パンクをノリノリで決めている。光のは、まあどうでもいい。一番興味深かったのはマツの曲。殆ど一人きりの宅録状態の曲だが、アシッドフォークっぽくもあり、不思議な感覚を残すものだった。各曲のカラーや完成度にかなりバラツキがあるので、トータルの作品としてよりも氣志團プロデュースのコンピレーションとでも考えるべきかも。これを踏まえて、氣志團としての次の一手が非常に重要だと思う。