無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

自棄なのか狙いなのか。

SIX SENSES

SIX SENSES

 各メンバーのソロユニットの音源を3曲ずつ収録し、昨年の氣志團万博テーマ曲でもあった(そして昨年唯一の氣志團名義のシングル)「The アイシテル」をプラスした全19曲。果たしてこれを氣志團の新作、と言っていいのだろうか。と、いうのが本作に対しての素直な疑問であろう。各メンバーがそれぞれにソロ楽曲を持ち寄ったアルバムといってまず思い浮かぶのはブルーハーツのラストアルバム『PAN』である。DJ OZMAとしての團長の活動がかなり派手であり、氣志團本体としては昨年の万博以外主だったものが無かった昨今の状況を考えると、ここにきてこうした形のアルバムが出るのは、イコール「氣志團解散?」という、単純な結論になりかねないと思う。
 ただ、これはそんな分かりやすい結論の作品ではないと思う。少なくとも、團長はじめメンバーもここで氣志團を終わらせるつもりなど毛頭ないだろう。氣志團としての活動が行き詰まりを見せてくる中で、綾小路翔の頭の中にはこのままではいけない、という危機感、焦燥感はあったのだと思う。氣志團に対しての刺激剤という意味も含めてのDJ OZMAなのかもしれないが、正直僕にはあの活動の意味は良くわからない。ただ、氣志團がバンドとしてもうひとつ向こうに行くためには、個々のメンバーの底上げが必要だったとは言えるだろう。GIGでは各メンバーのソロパートなどもあったが、ここまで音源ではっきりと行ったのはそれなりの意図があってのことだと思う。
 翔ヤンは最も氣志團のイメージに近いヤンク・ロック。ランマも、これまでアルバムの中で聞かせてきた胸キュンナンバーをきっちり聞かせている。トミーはギタリストらしいブルージーなロック。ユッキはハイテンションなポップ・パンクをノリノリで決めている。光のは、まあどうでもいい。一番興味深かったのはマツの曲。殆ど一人きりの宅録状態の曲だが、アシッドフォークっぽくもあり、不思議な感覚を残すものだった。各曲のカラーや完成度にかなりバラツキがあるので、トータルの作品としてよりも氣志團プロデュースのコンピレーションとでも考えるべきかも。これを踏まえて、氣志團としての次の一手が非常に重要だと思う。