無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

生き物としてのレベルが違う。

Volta

Volta

 ここ数年の彼女のオリジナルアルバム(具体的には「ヴェスパタイン」と「メダラ」)は、彼女の非常に内省的な面が強く出た作品だった。彼女自身の精神の淵にどんどん降りて行き、そこで鳴っている音を再現したかのような作品だった。それはそれでもちろん素晴らしいものではあったのだが、「ホモジェニック」までの、生命力がそのまま音になり輝いているかのような彼女の作品に刺激を受け続けた人間としては、正直、物足りない感じをがあったのも事実である。本作は、そんな欲求不満を一気に解消するような、アクティヴに外に向っているビョークが前面に出たアルバムになっている。
 ティンバランドをはじめ、様々な楽器やゲストを迎えて製作された本作は、サウンドのバリエーションもさることながら、ビョークという人のバランス感覚と危機感が全体の雰囲気を形作っている。つまりは、アメリカを中心とした不穏な空気の中で、どういう意識を保っていくのかというテーマである。彼女は、こうした社会的なテーマを扱う際に決して自分の考えやメッセージを直接的に表明することはしない。自分の歌とサウンドが発するエネルギーを聞き手が感じることで、何か前向きな考えを持ち、アクションを起こすためのきっかけになる。彼女の作品から発せられるポジティビティとはそういうものではないかと思う。彼女の作るサウンドやメロディには、緻密な計算というよりは、本能的な原始の生命力というようなイメージがついて回る。女性としてとか、人間としてとか以前に、生物としてのパワーが違うような気がしてしまうのだ。ジャケットやビジュアル面での奇抜さも彼女の魅力であるが、本作のジャケットでの奇天烈さも久々の快感。