無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

君と僕の全て。

orbital period

orbital period

 3年4ヶ月ぶりの新作。その間発表されたシングル曲(A面曲)は全て本作に収録されている。というと、どこかこの期間中のベスト盤というかオムニバス的な匂いが漂ってきてしまうものなのだけれども、本作においてはそれが全くと言っていいほど感じられない。既出の曲も全てがこうでなければならない位置に置かれ、70分の物語の中でそれぞれが単発で聞いたときとはまた違う意味を与えられていることに気付く。物語、とは言ってもアルバムを通して明快なストーリーがあるわけではない。が、最初と最後に配置された「voyager」と「flyby」、この2曲が対になることで大きなテーマに沿ってひとつの円環としてアルバムが完結されている。
 かつてバンプ・オブ・チキンは曲の中でストーリーを描く際、そのキャラクターの死を描くことで逆に生を強烈に浮かび上がらせてきた。しかしそれは突き詰めれば一人称の「live」であり、他人との関係性はどちらかと言えばあまり大きな意味を持たなかったと思う。前作からその視点は変わり始め、「自分が」ではなくもっと大きな意味で「人間が」この世界で生きていくことはどういうことなのか、その真理を描き出すような描き方になってきたと思う。本作の曲は基本的にその延長線上でありながら、掘り下げの精度が全然違うレベルに達している。
 「才悩人応援歌」などはまだ前作の印象の上に成り立っているが、「メーデー」や「プラネタリウム」などでその「自分描き」の中から徐々に他人との関わりが描き出され、「supernova」では生と死の間で「君」の存在をはっきりと意識することになる。「ハンマーソング〜」含めて他人との関係をいろいろな角度から書いた曲が並ぶ中間部を経て、圧巻なのは後半。「ひとりごと」は「やさしさ」、そして個人的に最も好きな「飴玉の唄」は「信じる」ということを藤原なりに定義し直した曲だ。あまりにも漠然としていて、簡単に結論付けるのが重すぎる言葉。そこに真正面から向き合った重厚感がアルバム後半を支配している。生きることの業そのものを見つめ直す「カルマ」を挟み、死の間際その他者との関係がどれだけ生を豊かにするのか、ということがクライマックスの「arrows」では書かれているような気がする。それと同時に、人間は結局生まれる時も死ぬ時も一人だという絶対的に逃れられない孤独も描かれている。この後半の密度の高さこそが本作の肝だと思う。個人的には「arrows」の大感動で必ずと言っていいほど涙腺を刺激されてしまうので、その後に「涙のふるさと」が来ると見透かされたようでドキっとする。そして、ホッとする。
 本作に付属されている藤原自身が描き上げた「星の鳥」という名のブックレット(絵本)はストーリーとして直接本作の曲と関連があるわけではないが、その根底にある思想自体は通じていると思う。作中で星の鳥を捕まえようと王様が積み上げる箱は、まさに「痛みの塔」に他ならない。曲の中にも寓話的なモチーフやメルヘンチックな擬人化を用いたものはあるが、そのどれもが目の前にある現実のメタファーである。
 全体として、バンドアンサンブルのグルーヴを聞かせるというよりは緻密で練り込まれたアレンジが多い。サウンド面からロックバンドとしてのバンプが明快にイメージできる曲は「メーデー」「才悩人」「カルマ」くらいだと思う。が、本作に描かれている物語を自分が生きることと、自分の側にいる他人との関係性に置き換えると、全ての人に当てはまってしまうのがわかるだろう。抽象的な物語が聞く人全てが主人公の物語に転換するダイナミズムこそロックの醍醐味である。その意味で本作は紛れもないロックであるし、バンプ・オブ・チキンがロックじゃなかったことなどただの一瞬もないのだ。