無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

一緒に ここから 離れよう

Syrup16g

Syrup16g

 第2期Syrup16gの最初にして最後のアルバム。そして言うまでもなく、Syrup16gはこの作品を最後に解散する。「そっと安らかに逝こう 心無くした頃に」「くだらない程 盛り上がった 無邪気な季節は過ぎた」などなど、バンドを続けることへの諦め、絶望、葛藤というものをほのめかす言葉がそこかしこに出てくるし、聞き手も否が応でもバンドの終焉を意識せずには聞いていられないアルバムだ。特に最後の2曲は、明らかにそれを意識して書かれたのではないだろうか。聞き手に対してバンドの終わりを諭すような、自分に対してそれを納得させようとするような言葉が並ぶ。極端なアレンジはなく、どこか淡々と曲が進んでいくが、どの曲も五十嵐の才能を改めて実証するような素晴らしい曲ばかりだ。間違いなく、Syrup16g史上最も美しいアルバムだと思う。
 Syrup16gの曲はほとんど全てが五十嵐隆という個人から出てきたものであるが、彼個人でその曲を鳴らせたかというと、そうではない。端から見ればそれでもいいだろう、と思うのだが、彼の中ではそうではなかった。バンドじゃなければならなかった。そのバンドは、Syrup16gでなければならなかった。解散発表後、彼のインタビューを読んだが、意外なほどに純粋なバンドへの想いが彼の中にあることを知った。青臭いほどに純粋で、だからこそ一度崩れると決して戻らない幻想。Syrup16gというバンドは、五十嵐というコミュニケーション不全者が唯一社会とつながることのできる場所だったのだろうし、彼にとって青春の全てだったのだろう。それはもうすぐ終わる。
 孤独と絶望と、その裏にある人間の醜さをあけすけに歌うバンドだった。それでいて、全てを捨ててネガティブになってしまい、本当に世を捨てるような行為とは反対の思いを聞き手に喚起させるバンドだった。中途半端な音楽ではなかった分、中途半端に好きとか嫌いとか言えるバンドでもなかった。だから、僕のように『COPY』を聞いて自分のためのバンドだ、と思った人はこの最後のアルバムまでずっと付き合ってきたことだろう。
 青春は先週で終わった。思春期は過ぎた。でも、生きることは終わらない。五十嵐はこの先、音楽を続けるのだろうか。続ける気になるのだろうか。しかしそれよりも、このバンドの最後を明日しっかりと武道館で見届けようと思う。それが僕の使命と義務であると、勝手に思っている。