無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

It's up to us.

In Rainbows

In Rainbows

 レディオヘッド約4年半ぶりの新作。ご存知のように、このアルバムは彼らの公式サイトでアナウンスされた数日後にダウンロードでの販売が開始された。しかも、値段は購入者が自由に決めて良いという。その気になればタダでダウンロードして聞くことが出来るのだ。因みに僕は、後日発売が決まっていたCDを最初から買うつもりで、同じ作品に2回お金を払うのは馬鹿馬鹿しいのでダウンロードはタダで行った。既にメジャーとの契約が切れていたとは言え、彼らのように世界的な規模のセールスと影響力を誇るバンドがこのような革新的な販売手法を選択したことは、音楽業界のあり方あるいはネット時代の音楽流通に対して一石を投じる重要な事件であったのは間違いない。しかし、そこにばかり注目してしまうと肝心の音楽が置き去りになってしまうので、聞く時は極力そういうことは考えないようにした。
 そう思いつつダウンロードしたmp3と、発売されてからはCDをipodに落としてと、計50回以上は聞いたと思うが、これは間違いなく、レディオヘッド史上最も美しく完璧なフォルムを持つアルバムだと思う。敢えて言えばその美しさは前作『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』の後半に通ずるものがあるが、アルバムの中心にある視点が全く違う。前作のタイトルは間接的にしろブッシュ大統領を揶揄したものであるように、レディオヘッドはマクロな視点で現代のこの病んだ世界を俯瞰していた。今作においてはそうしたグローバルな視点は見られず、もっと1人称的な、ミニマルな視点で各曲が描かれている。サウンドはギターの柔らかなアルペジオを中心に、バンドアンサンブルや打ち込みによるリズムで彩られている。様々な音が緻密に練り込められているが聞いた感触はあくまでもシンプルだ。
 前述のダウンロードサイトには大きく"It's up to you."と書かれていた。全てはあなた次第。件のサイトではダウンロードの値段のことだが、これはレディオヘッド側から提示された、今作を紐解くための大きなキーワードであるだろう。世界そのものを描くのではなく、その世界に生きる個人の視点を持ってきたのも同じ意図だろうと思う。世界は変わらなくても、個人の考えはいくらでも変えることができる。それがやがて世界を変えることになると言うのはあまりにもナイーヴな希望だが、その可能性が確実に否定されたこともまた、無いのである。その事実のみが唯一の希望。レディオヘッドが鳴らしてきた希望は、いつだって絶望の裏にあるそんなささやかなものでしかなかった。このアルバムは時に激しく時に静謐に、ひとり部屋の中で思考に暮れる際の感情の起伏を丁寧に縁どっていく。
 終曲"VIDEOTAPE"の一節"I know today has been the most perfect day I've ever seen."これを皮肉と取るのかストレートに取るのか。それだけでも今作の印象は大きく異なると思う。僕は後者。全てはあなた次第。つまりは僕次第。