無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

眠れる獅子、目覚める。

One Day As a Lion

One Day As a Lion

 レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのザック・デ・ラ・ロッチャによるソロプロジェクトの初EP。2000年のレイジ脱退後、幾度となくソロアルバムの噂が現れては消えてきたが、結局公式に発表されたのはごくわずか。ウェブサイトでゲリラ的に配信したものや、コンピレーションに収められた単発のものだけで、トレント・レズナーやDJシャドウなどと行われていたというレコーディングも含めて彼のソロの全貌というのは全く見えてこなかった。しかし、元マーズ・ヴォルタのジョン・セオドアをパートナーとして迎えたこのプロジェクトは彼なりに手応えがあったのだろう。まずはこうして音源が発表されたことを素直に喜びたい。
 ジョン・セオドアがドラムを叩いている以外は全ての楽器をザックが手がけているらしい。と言っても無造作なキーボードがギュインギュインピーガガーと鳴っている程度なのだが、そのシンプルな構造がザックの攻撃的なラップと相まって非常にダイレクトな音楽になっている。レイジ解散後2001.9.11の出来事は言うに及ばず、ザックが言葉にすべきことはいくらでもあったはずで、彼のソロの停滞は言葉の問題ではなく音の問題だったのだろうと推測する(ただ、彼の作詞が遅いことがレイジ解散の一因にあったと言う話もあるが)。その後のへヴィ・ロックにも大きな影響を与えたレイジの画期的なバンド・アンサンブルはあの3人だからこそ生み出せたものであり、それに匹敵するサウンドを手にするのは並大抵のことではなかっただろう。自分の中にある言葉と拮抗するだけのパワーを持ったサウンドをいかにして手に入れるか。ザックの試行錯誤はそこに集中していたのではないかと思う。
 しかし、ではこのワン・デイ・アズ・ア・ライオンのサウンドがそれほどまでにすごいものなのか、と言うと実はそうでもない。ドラムとキーボードがほとんど全てと言う、言ってしまえば誰でもできそうなデモ音源のようなものだ。確かにセオドアのドラムは凄まじいの一言だがそれだけでレイジに匹敵する音圧とも思えない。ザックが感じたのはサウンドの生なダイレクト感、ビビッドさのようなものだったのではないだろうか。ここに収められた5曲はどれも、言葉と共にサウンドもザックの中から出てきたのだろうと思わせる説得力がある。それは単に音圧があるとかヘヴィーだとか言う以前に、ソロ・アーティストとして以前のバンドと切り離された地点からスタートするための最低条件である。それは才能のあるアーティストとコラボレートすれば手に入るものではなく、自分自身が様々なものを削ぎ落とし、脱ぎ捨てた果てに見つかるものなのではないだろうか。ようやくザックはそこに立てたのである。
 輸入版を買ったので歌詞の対訳は定かではないが、アメリカを糾弾する過激な内容であることは間違いない。ザックの新しいリリックがこうして出ると言うことは、再結成したレイジの新作は当面無いと言うことなのだろうか。それはそれで複雑だが、ザックの創作活動が本格化する場所がようやく出来たことは祝福するべきだと思う。