無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

ブルースの果てに。

 前作『魂のゆくえ』から約1年3ヶ月で発表された、くるりの新作。この前にはB面集『僕の住んでいた街』もリリースされた。『僕の〜』に新曲として収録された「東京レレレのレ」は本作にも収録されており、B面集とこの新作は並列して進行していたのだと思われる。順調なリリースペースに見えるが、ここ数年のくるりは迷っていたと僕は思う。具体的には『ワルツを踊れ』、そのツアーを収録したライブアルバム『Philharmonic or die』をリリースした後のことだ。
 前作『魂のゆくえ』は音数もシンプルに、自らのルーツでもあるブルースに寄り添うようなアルバムだった。どちらかと言えば回帰的な印象を持つアルバムである。目の前が明るく開けている時に足元を見て原点回帰する人間はあまりいない。その迷いと言うのは何なのかと考えると、僕はサウンドではなく言葉だと思う。どう鳴らすかではなく、何を歌うのか。今この時代に何か有効な言葉を自分たちは産み出すことが出来るのか。その葛藤ではなかったのかと思う。サウンドは前作よりもさらにシンプルになり、ほとんど岸田と佐藤、そしてサポートドラマーのboboの3人で録音されている。これ以上ないくらい削ぎ落とされた音である。そこで歌われるのは、平熱のままシニカルに、しかし希望を持って日常の中から光を見出そうという強い意思だ。さほどひねくれた表現もなく、平易な日本語でもって岸田は本作の歌詞を書いている。これはとても重要なことだと思う。アジカン後藤正文が『マジックディスク』というアルバムで似たようなスタンスで曲を書いていたと思うのだけど、今30代前半くらいのロック・ミュージシャンがこういうことを意識して曲を書くという部分でシンクロするのは非常に興味深い。
 昔の岸田だったら、そもそも今作のようなアルバムタイトルはつけていなかっただろう。何とかして言葉にしよう、音で表現してやろう、と躍起になっていたはずだ。しかし今の彼は「言葉にならんのやったら、それでええやん」と達観できる強さを持っている。その方が何十何百と言葉を費やすよりも時に雄弁であることを知っているのだ。かつてくるりがこれほど人間くさいアルバムを作ったことはない。そしてこのアルバムは、間違いなく2010年の日本に住む僕たちの思いを映し出す鏡になっていると思う。つまりロックなのである。