無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

僕とフィル・コリンズと校庭で。

No Jacket Required

No Jacket Required

1985年に発表された、フィル・コリンズ3作目のソロアルバム。彼は元々ジェネシスのドラマーで、ピーター・ガブリエルが脱退した後リードシンガーとして活躍し、バンドを世界的ポップグループへと押し上げた功労者である。その持ち前のポップセンスとエンターテインメント精神はソロアルバムでも十二分に発揮されていてソロ1作、2作目ともにヒットしている。彼の音楽は自らの手によるパワフルなドラムを基調とし、時にホーンセクションをフィーチャーしたポップ・ロックと、チープなドラムマシーンを使ったセンチメンタルなバラードという2つのパターンが王道。その代表が「ススーディオ」と「ワン・モア・ナイト」という事になる。この時期は夜中にやってたMTVのチャート番組と小林克也の「ベストヒットUSA」が僕にとって貴重な情報源で、やっぱりビデオと一緒に記憶に残ってるものが多い。「ススーディオ」のビデオはクラブかどっかでの演奏シーンが主で、「ワン・モア・ナイト」はその後、店が閉まって1人静かに飲んでいる、というシチュエーションの続きものだった。
 この時期のフィル・コリンズはまさに「ザ・ハーデスト・ワーキング・マン・イン・ショウ・ビジネス」という感じの忙しさだった。ソロアルバム制作、ほかのアーティストへの楽曲提供やプロデュース(フィリップ・ベイリーとのデュエット「イージー・ラヴァー」も懐かしい)、バンド・エイドへの参加(「Do they know it's Christmas?」のドラムはフィルによるもの)、そして翌86年には本家ジェネシスのアルバム制作と世界ツアー。と、本気でいつ休んでたんだというくらい引っ張りダコだった。85年夏に行われたライブ・エイドでは24時間の間にロンドンとNYの2つのステージを掛け持ちするというとんでもないこともやっていた。
このアルバムは複数グラミー賞を受賞するなど、彼の全盛期を代表するものだ。そして思い返すと初めて自分の小遣いで買ったLPレコードがこのアルバムだった(CDじゃないよ)。1998年に彼のベストアルバムが出たのだけど、そこでシンディ・ローパーの「トゥルー・カラーズ」をカバーしてて、あ〜もう80年代、って感じですごく懐かしかった。しかしこの人のソロアルバムのジャケットはなんで顔のアップばかりなんだろう。特にハンサムってわけでもないのに(愛嬌あるベビー・フェイスではあるけど)。今でもよくわからない。
Invisible Touch

Invisible Touch

 ピーター・ガブリエル在籍時のジェネシスはいわゆるプログレッシブ・ロック・バンドだった。しかし1974年に最高傑作と言われる『幻惑のブロードウェイ』発表後にピーターがバンドを脱退し、解散の危機に直面してしまう。それを救ったのが他ならぬフィル・コリンズだった。ヴォーカリストとして全面に立ち、エンターテイナーとしての才能を開花させた彼を中心に、ジェネシスはポップバンドへの転身を図る。70年代後期から80年代にかけてコンスタントにヒットを飛ばし、ベストセラーになったのが1986年発表の本作。このヒットの影にはもちろんフィルのソロとしての大成功があるのは言うまでもない。プロデュースもフィルと組んでいたヒュー・パジャムだし、他の2人どうでもいいやん、という感じが当時はどうしてもぬぐえなかったものだが、それでもこれはあくまでもジェネシスのアルバムなのだ。
 フィルのポップセンスが随所に散りばめられているものの、トニー・バンクスによるやや暗めでスペイシーな広がりを見せるシンセの音や緻密な曲構成は明らかにジェネシスのそれで、10分を越す組曲「DOMINO」などもありプログレ時代の感触をちょっと思い起こさせたりもする。そうした感触はフィル・コリンズのソロではなかなか味わえないものだった。本作が出た1986年当時、まだ我が家はアナログレコードの時代で、貸しレコードから録ったテープを毎日のように聞き狂っていた。フィルのソロやジェネシスに限らず、この頃聞いてた洋楽の曲は、ほとんどが歌詞もソラで出てくるくらい記憶に残っている。
 ちなみに1986年はピーター・ガブリエルも5作目のソロアルバム『So』(これもまた名盤)がシングル「スレッジハンマー」とともに大ヒットとなった。因みに前年にはギタリストのマイク・ラザフォードもマイク&ザ・メカニックスとしてデビューし、「サイレント・ランニング」などのヒットを飛ばしていて、85〜86年はちょっとしたジェネシス祭りだったのをよく覚えている。やがてCDプレーヤーが家に来た時に最初に自分で買ったCDの一つがこの『インビジブル・タッチ』だった。それだけ思い出深く、いい音で聞きたかったんだと思う。まだ輸入盤が謎の細長い紙の箱に入っていた時代の話。