無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

借り暮らしのカササギに捧ぐ。

The King of Limbs

The King of Limbs

 レディオヘッド3年半ぶりの新作は、前作『イン・レインボウズ』の時と同じく、あまりにも唐突にリリースされた。前作同様、フィジカルリリースの前にダウンロード販売という手法を取ったが、前作のように価格は買い手が自由に決めると言うものではなく、きちんと設定されていた。3年前当時は彼らのような大物アーティストがこうした手法を取ること自体がセンセーショナルな部分もあったが、この3年間で状況は変わった。送り手も受け手も当たり前のことと捉えている。そこに時代の流れを感じる。
 既存のレコード契約から離れ、「世界で最もBIGなインディー・バンド」となって以降のレディオヘッドは、それまで彼らを束縛していた様々な鎖から解き放たれたような気がする。『イン・レインボウズ』にあった開放感や風通しの良さもそこに通じるように思う。本作においてもそれは変わっておらず、「ロータス・フラワー」のPVで狂ったように踊りまくるトム・ヨークはその自由を体現していたように見える。2000年代に彼らが獲得したエレクトロニカ的な音像とバンド・アンサンブルが絶妙に交差する前半は、ダブ・ステップなどの影響も感じさせつつ、アトムズ・フォー・ピースでトムが獲得した肉体性をも体現している。これはトム・ヨークが『ジ・イレイサー』で、またはアトムズ・フォー・ピースで行ってきた頭脳と肉体の融合をレディオヘッドという組織体の中で完結できるようになったことを意味すると思う。「ロータス・フラワー」以降の後半は、一転してミドルテンポのナンバーが続き、オーガニックなメロディーが全体を支配する。息を呑むような美しい瞬間が幾度となくやってくる。レディオヘッドというバンドが束縛やプレッシャーもなく、またバンド内の軋轢もなく、純粋に音楽に向き合った結果がこのアルバムなのだとしたら、このアルバムはその音楽性において頂点を極めていると言って差し支えないと思う。
 レディオヘッドは常に、世界と自分との距離や関係において言葉を紡ぎ、音を鳴らしていた。基本的にそれは今も変わっていないと思う。しかし前作以降、「世界にいる自分」の中へとその興味は移ってきていると思う。本作でも、トム・ヨークが自分自身のことを歌ったと思われる歌詞が散見される。正直に言えば、現実世界にコミットするという意味では、今のレディオヘッドは「世界で最も重要なバンド」ではないと思う。例えば、10代の若者が本作を聞いてロック的な興奮や同時代性をどこまで感じられるかは疑問でもある。それでも、地元の仲間で結成しデビュー20年を迎えようというバンドが一度のメンバーチェンジもなく、その影響力においてロックシーン最重要バンドとなり、それでも崩壊せずにこうして純粋に音楽的な高みに達することができた感動を僕は噛みしめたい。
 ビートルズがその最終作『アビイ・ロード』において「Boy, You gonna carry that weight a long time.」と歌って以降、数多のロックバンドがその重さを背負ってきた。それは彼らを苦しめることにもなったが、その中からいくつもの名作が生まれ、そのドラマこそが我々を惹きつけてやまないロックのロマンだったのだとも信じる。レディオヘッドも『OKコンピューター』以降その重さを担ってきたが、今彼らはそこから真に解放されたのだ。最終曲「セパレイター」にはこんな一節がある。「長い鮮明な夢を見ていたらベッドから転がり落ちた、まるでそんな感じ/やっと、抱えていた重荷から解放されたよ」
 おはよう、トム・ヨーク。僕は涙が出そうだ。