無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

終わりの始まり。

アングルズ

アングルズ

 ザ・ストロークス、『ファースト・インプレッションズ・オブ・アース』から実に5年ぶりの4枚目。その間、それまでもあった各メンバーのソロ活動、特にソングライター・ボーカリストであるジュリアン・カサブランカスのソロが発表されたこともあってストロークスの活動継続について様々な憶測も流れることとなった。正直、僕はストロークスというバンドの役割はデビュー作『イズ・ディス・イット』、あるいはセカンドの『ルーム・オン・ファイヤ』で終わっていたのではないかと僕は思う。勘違いしないでほしいのだけど僕は個人的に彼らのシンプルでスタイリッシュなロックンロールが大好きだし、00年代のギターロック復権、ロックンロール・リバイバルに対し彼らとホワイト・ストライプスが与えた貢献は計り知れないと思っている。しかしそういうロック史観的な意味での役割は、やはりセカンドまでで終わっていたのではないかと思うのだ。
 極端な話、それ以降のストロークスの活動は「ストロークスストロークスであるための理由」探しだったのではないか。音楽的なものから人間関係まで、様々な問題があったと推測するが、その中でバンドとして活動するのはなぜか。答えがあるかどうかも分からないそんな問いへの悪戦苦闘がこの5年間であり、そしてこのアルバムなのではないかという気がする。本作のレコーディングはこれまでジュリアンが全ての曲を書いていたやり方から脱却し、ジュリアン以外の4人で曲を書き、レコーディングを行い、ジュリアンはボーカル入れのとき以外には殆ど参加していないと言う。つまり、これまでのバンド力学を根本からひっくり返している。逆に言えばそこまでやらなければならないほど追い詰められていたということだと思う。
 レゲエやボサノヴァ、果てはカーズか?と思うほど80年代的なニューウェーブ感もあり、音楽的にはこれまでのストロークスからかなり離れた部分も多い。シンプルなギターとジュリアンの声がかろうじてストロークスとしての体裁を整えている。面白い音楽だとは思うが、これをやるのであればストロークスである必要があるのだろうかと思ってしまうのも事実。サマソニのステージは好評だったようだけど、複雑な気持ちではある。本人たちにしてみれば今はこういうやり方でしかできないということなんだろうけれど。果たして2011年のロックはストロークスを必要としているのだろうか。ホワイト・ストライプスも解散してしまった今、そんなことを思わずにはいられない。