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無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

見てるこっちが金縛り。

■ステキな金縛り
■監督・脚本:三谷幸喜  ■出演:深津絵里西田敏行中井貴一阿部寛
 僕は「やっぱり猫が好き」で三谷幸喜を知り、好きになり、、「十二人の優しい日本人」あたりでその評価が固まったという世代です。その後も彼の作るドラマは見ていたし、映画も見た。好きだった。ハズなんだけどなあ・・・と言わざるを得ないのが非常に悲しい。そんな映画。
 優秀な弁護士を父(故人)に持つドジなダメ弁護士・宝生エミ(深津絵里)は、妻殺しの容疑者・矢部の弁護を担当することになる。矢部は「旅館で金縛りにあっていた」とアリバイと無実を主張。彼が泊まっていた旅館に行くと、確かに落ち武者の霊が。エミはその落ち武者に「法廷で証言してください!」と頼むのだが・・・。というストーリー。要は、常識では考えられない状況に置かれた人々が振り回される様子を描いた荒唐無稽なコメディーである。この映画を一言で言うなら「支離滅裂」もしくは「行き当たりばったり」ということになろうか。とにかくその場その場のことしか考えられておらず、全体を通した視点がことごとく欠如している。
 例えば、序盤で証言台に立つことを渋る六兵衛(西田敏行)はこう語る。忠実な家臣だった自分は別の家臣の姦計にあい、裏切り者の汚名を着せられ首を斬られた。それが無念で今も成仏できずにいると。証言台に立つ条件として、自分の名誉を回復してほしい、石碑を建ててほしいと言うのである。これは普通に見る限り、間違いなくフラグである。この映画のクライマックス、全ての問題が解決した暁には、成仏しあの世に戻る六兵衛との涙の別れがある、はずだろう。しかし、この映画にはそんなシーンはないのだ。全体を通した客観的な視点がないために、伏線が伏線として機能していない。伏線となるべきアイディアが前述のように全く無視されたり、あるいは次の瞬間に解決してしまったりする。その理由の多くは、その場でのインスタントな笑いを求めるためである。コメディー映画なのだから細かい笑いの要素を入れるのは当然だろうが、そのために全体の物語が破綻してしまっては意味が無い。それならば徹頭徹尾スラップスティックとして意味の無いギャグの連発(「裸の銃を持つ男」や「ウェインズ・ワールド」的な)にしてしまえばいいものを、最終的にはお涙頂戴のいい話に着地させようとする。やることが終始一貫していない。
 加えて気に入らないのは作中で「死」と言うものが全く軽く描かれていること。幽霊と会話している設定な時点でそうなのだけど、輪をかけてエスカレートしていく。「あの世」から会いたい人や動物の霊を連れてきてやりたい放題。わかりやすく人を泣かせる映画を作ろうと思ったらとりあえず死なせて別れを描くのが手っ取り早いと思うのだけど、この映画は死んでもまた会って話ができるので死が別れになってない。阿部寛が死ぬくだりとか、本当にひどい。コントでももう少し悲しそうな演技すると思う。あげくに、死んだ被害者の霊を連れてきて「犯人はこいつだ!」みたいなことまでするわけです。裁判の意味無いし、この一連の事件を通してそんなルール無用なことばかりしているのだから弁護士として主人公は何一つ成長していない。にもかかわらず、なんかエンドロールでは立派な弁護士になって事務所も大きくなりました的な写真が映し出されたりする。驚くべきビフォーアフター。まさに「なんということでしょう!」としか言いようがない。
 思わず笑っちゃうシーンは確かにありました。それはそうだけど、トータルの映画としてはあまりにも行き当たりばったりでその場の展開にしか頭が行っておらず、全体の物語が破綻しているとしか言いようがない。つじつまが合わないことばかり。昔の三谷氏の良かった点はやはり密室劇における会話の面白さだったと思います。そういう意味では法廷ものと言うのはその魅力をアドバンテージにできるはずの舞台であるのに、全く生かされていない。そのくせ、ラストの死んだ父親との交流シーンはダラダラと30分くらいかけている。こんなのいらないよ。2時間で充分終われる映画だと思う。笑えるシーンも、役者の見た目や演技によるところが大きく、シチュエーションや会話の流れで笑わせるところはあまりない。三谷氏は所謂当て書き(最初に役者を決め、その人を想定して脚本を書くこと)をするので、それが裏目に出た部分もあるかもしれない。例えばこれが舞台なら、何度も何度も観客の目に晒すことで不味い部分が浮き彫りになり、そこを修正しブラッシュアップすることもできるのでしょう。しかしこの映画ではそうした客観的な視点がないために、歪なことになっている。こうした矛盾に気づいていても彼に進言できるスタッフがいないのでしょうか。問題は三谷氏の演出家としての力量というよりも、脚本段階での第三者的視点の欠如だと思う。思い切って誰かと共同で脚本書くか、スクリプトドクター的な役割を置くべきでしょう。なんか、世間の評価や見た後の劇場の感じもなんとなく「三谷映画だから」よかったねーという雰囲気になっている気もするけど、とんでもない。正直がっかりです。