無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

完璧な終劇。

大発見

大発見

 解散してしまった今となっては何とでも言えてしまうのだけど、東京事変というのはやはり終わることを前提に活動していたバンドなのじゃないかと思うのだ。もっと言えば、時期を明確にしていない時限バンドと言ってもいいかもしれない。東京事変が結成された時、興奮を覚えたことは確かだが、同時に「これが今後の椎名林檎のアウトプットの全てではないだろう」とも思っていた。バンドという枠組みの中では捉えきれない表現がいずれ彼女の中から溢れ出してくるのは自明の事であった。
 東京事変は徹頭徹尾、コンセプチュアルなバンドだった。テレビのチャンネルをイメージしたアルバムタイトル、確実にシンメトリー配置されたアルバム曲、完璧にショーアップされたライブの構成などなど、表に出る部分では完全に作りこまれ、ギミックに満ちていた。自らに課したそうした「枠組み」の中でどれだけ自由に音楽できるか、東京事変とはその大きな実験とトライアルだったとも言えるのかもしれない。『娯楽』というアルバムで、椎名林檎が作曲に参加しない、というのもそうした枠の一つだったのだと思う。壮大な音楽実験と、バンドとしての成熟、(ワンマンバンドじゃないの、という)色眼鏡的見方の払拭、そして完璧なるエンターテインメント。それらを同時進行で素晴らしい成果を出してきたわけである。驚くべきバンドだったと言わざるを得ない。これ以上バンドとして証明することがなくなった時点で、彼らが解散を決意したのはある意味当然なのだろう。
 バンドとしての成熟は前作『スポーツ』でほぼ完成の域を見たと思っている。この『大発見』ではバンドとしてそれを再確認するような堂々とした音が鳴っている。シンメトリーではなくすべてをフラットにした曲タイトルがある種のリセット感を感じさせる。アマチュアでスタートしたバンドではなく、メンバーそれぞれが第一線のプロとして集まったバンドである。上手くて当然。すごくて当然。そういう中で勝ってきたバンドである。散り際もまた潔く。カッコいいじゃないか。すべてを見終わった後には、放送終了のカラーバー。最後まで見事に枠をはめてくれた、脱帽の7年間だった。
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