無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

レッチリ・マスト・ゴー・オン。

 レッチリ、6年ぶりの通算10作目。1999年の復帰以来バンドのサウンドを牽引し続け、新たなドラマの1ページとともにレッチリを正真正銘、世界最高峰のバンドに押し上げたのは他ならぬジョン・フルシアンテだった。この期間の彼は、確かに現役最高のロック・ギタリストと称されるほどの輝きを放っていたと今でも思う。そのジョンが脱退するということは、バンドの構造が根本から変わってしまうということだ。過去レッチリはヒレル・スロヴァク、ジョン・フルシアンテ(1回目)、デイヴ・ナヴァロ、ジョン(2回目)と、ギタリストが変わるたびにバンドを刷新し、新たなステージへと足を踏み入れて行った。普通のバンドであれば解散してもおかしくない程の変化を乗り越え、頂点まで達した稀有なバンドである。しかし、この10年間のジョンの功績を考えると、今回はそう簡単にはいかないのではという心配はどうしても拭えなかった。
 その後任には、彼らよりも20歳も年下のジョシュ・クリングホッファーが抜擢された。若いが、ジョンとの交流もあり、音楽的にはスムーズに溶け込めたようだ。とは言え正直、アルバムを通して聞いてもまだ若干おとなしめの印象はある。そりゃあジョン・フルシアンテの後任でレッチリのギタリストであるのだから仕方がない。そのプレッシャーも相当のものだったことは想像に難くない。栗田貫一がルパン役を引き継いだ時でもここまでではなかったかもしれない。個人的にはよくやってると思うし「頑張った!」と拍手を送りたい内容だ。恐らくアンソニーやフリー、チャドはジョシュを新たなメンバーとして迎えるにあたり、内外にその存在を認めてもらえるよう、かなり腐心したのではないだろうか。音楽的にもジョシュのアイディアももちろん取り入れつつ、アンソニーのメロディーラインとフリーのベースが全体のカラーを決めているという印象。ジョシュがもっと表に出てくるようになると面白そうだ。少なくとも、個人的にはデイヴ・ナヴァロの時のレッチリに比べればはるかに未来に期待が持てる。それは彼らが大人になったということももちろんあるのだろう。
 レッチリは今でもちんぽにソックスをかぶせるようなこともするかもしれないが、それ以上に精神的に成長して周りから認められるバンドになった。それを寂しいと思うかどうかは人それぞれだろう。大人になるということはつまり、面倒くさいことを引き受けて、周りと自分たちのために何とか上手いことやっていく術を身につけるということだ。かつては自己破滅型の典型だったようなバンドが、メンバーの死やドラッグ禍を乗り越えて「何とかバンドを上手くやっていく」ことを選び、そして頂点に達したのだ。これが感動的なドラマでなくてなんなんだ、と思う。若い頃に蔑んでいたつまらない大人になったのではなく、ロックにはこういうサヴァイヴの仕方もあるのだということを身をもって示し続けているのだと思う。このアルバムはレッチリがジョシュという若いギタリストを仲間に加え、「オレたちまた何とか上手くやっていくよ」と宣言したアルバムなのだ。何というタフなバンドだろう。少なくともその一点に関しては何の迷いもなく、今でき得る限りのレッチリの音が詰まっている。これで文句を言ったらバチが当たるというものだ。