無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

とむらいのあとは。

 東日本大震災の後、多くのミュージシャンがそれぞれのやり方でメッセージを発信した。脊髄反射的に曲を書いて発表したり、UstreamTwitterなど、様々なメディアで意見を述べたり演奏したり。色々な人が違うやり方で震災後の活動を続けている。今の日本においてはどうしたって、ミュージシャンとして、ソングライターとして音楽を発信する上では、直接的にしろ間接的にしろ震災をスルーすることはできない。それは、9.11後のアメリカのミュージシャンたちが置かれた状況に近いとも思う。彼らが発信するメッセージは怒りだったり絶望だったり、希望だったり連帯への呼びかけだったりそれこそ様々だ。僕たちはそれを「ああ、この人はこういう風に考え、感じているのだな」と思い、自分の想いとリンクさせながら取捨選択して数々の情報に触れていく。
「エンドレス」
 震災から1年半以上が過ぎた今になっても、僕が震災後に感じていた感情をここまで的確に表した曲はない。単純な怒りや悲しみというわけではなく、諦念とも違う、広い場所にぽつんと置き去りにされたような寂寞とした感情。どうしてこうなってしまったのか、という疑問。悔しさ。と同時に不安だけではなく、どうにかしなければ、という思い。直接被害を受けたわけではない多数の日本人の一人として感じるそんな思いを、「エンドレス」は形にしてくれた。感謝している。
 このアルバムは震災によって少なからず当初の目論見とは違う形で完成したはずだ。ただ、「ドキュメンタリー」というキーワードの下、今のサカナクションを裏表なく開けっぴろげにするというコンセプトは貫かれたと思う。「エンドレス」もそうだし、「ドキュメント」もそうだ。そして前作から今作に至るまでのシングル曲の羅列によりサカナクションがどういう道を辿ってきたかをわかりやすく示している。それと同時に、2011年という年がどういうものであったのか、この年に起きた忘れられない出来事に対してひとりの都市生活者である山口一郎という人は何を考え、どう感じたのか。それを克明に記した作品となった。
 バンドとしてのキャリアと、時代・世相というものがリンクする瞬間。優れたロックバンドというのはそれを優れた作品として昇華する。このアルバムは素晴らしい。でも、例えば10年後にこのアルバムに出会った人が本作に込められた同時代性を今の僕たちと同じレベルで理解し共感できるかというと、決してそうではないのだ。そういう意味で、ロックは時代を映す鏡であるということを改めて思い出させてくれた。サカナクションが今後どういうキャリアを歩もうとも、2011年にこのアルバムが世に出たということを僕は絶対に忘れないと思う。