無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

『834.194』についての雑感。

https://music.apple.com/jp/album/834-194/1465208767?uo=4&at=1000lvHZ

前作『sakanaction』から6年余り。日本のミュージックシーンとしては異例のブランクを経てリリースされたサカナクションの新作『834.194』である。もちろん、バンドはこの間活動を休んでいたわけではない。ベーシスト草刈愛美の産休はあったにせよ、シングルのリリースやツアーは定期的に行ってきた。自身が主催するクラブイベント「NF」を立ち上げるなど、その活動は多岐に渡り、山口一郎個人での仕事も考えると逆によくアルバムを作れたなと思うほどの多忙ぶりだったと思う。

前作以降のシングル曲を全て収録し、結果2枚組という形態に落ち着いたこのアルバムは一見コンセプチュアルでありながら、非常に歪なものだと思う。Disc1には「多分、風」「陽炎」「新宝島」など、既発のシングルでもアッパーでキャッチーな曲が並ぶ。Disc2は「グッドバイ」「ユリイカ」をはじめ、内省的な曲が並ぶ。という風に考えることは可能だ。しかしどうにもそれだけでは座りが悪い。

昨年リリースされたベストアルバム『魚図鑑』では、シングルでありながら収録されていない曲があった。それは「グッドバイ」「ユリイカ」「サヨナラはエモーション」「蓮の花」である。正確には完全生産限定プレミアムBOXのDisc3「深海」に「グッドバイ -binaural field recording-」が収録されているのだけど、オリジナルバージョンではない。これらの曲をベストから外したのは曲に満足行ってないということではなく、来る新作において核になるべき曲だから安易にベストに収録することを避けたのではないかと思っていた。その考えは、半分当たりで半分外れという感じか。『魚図鑑』にも収録された「新宝島」や「陽炎」もこの新作に収録されているのだし、単純にその観点だけでこの新作は語れないと思う。

何回か通してアルバムを聴いてみて「「新宝島」とか「陽炎」とか、この辺の曲を外したら1枚で収まったんじゃないか」と思ったこともある。しかし、それでは今のサカナクションを表すのには不十分だとも思った。


サカナクション - グッドバイ (MUSIC VIDEO)

このアルバムの出発点となったのは間違いなく「グッドバイ/ユリイカ」のシングルだ。2013年のサカナクションは『sakanaction』がオリコンチャートで初の1位を獲得し、紅白歌合戦にも出場。テレビの歌番組にも積極的に出演し、「Aoi」がNHKサッカーテーマ曲になるなど、お茶の間にもサカナクションの音楽が浸透した1年だった。

山口一郎は東京進出以降、「売れる」ということをひとつのキーワードにしてきた。それはもちろん下世話な意味だけではない。クラブミュージックというアンダーグラウンドな音楽と日本のメジャーな音楽シーンとをつなぐ存在になりたいという彼らの意思を反映したものだ。そしてそれが最も結果として出た1年が2013年だったと思う。サカナクションは目指していた場所に到達した。さぞかし大きな達成感があったことだろう。がしかし、次の一手としてリリースされたシングル「グッドバイ」はこんなフレーズで始まる。

探してた答えはない
此処には多分ないな

2013年のサカナクションをセルアウトなどとは僕は思わない。あくまでも彼らは自分たちの信じる音楽で頂点に立ったと思っている。しかし、そこから見える景色は山口一郎が思っていたものとは違うものだったのだろう。サカナクションはその場所で戦い続けることをしなかった(できなかった)。一度経験したからもういい、と思ったのかもしれない。サカナクションは、山口一郎は、自分たちの進む道が決してこの方向ではないことを知ってしまった。だから、新しい世界で何を歌うのかわからないうちに、そこから降りてしまったのだ。この内省から『834.194』は始まっている。

そして同時に、もっと前から始まってもいる。「834.194」という数字はサカナクションが札幌時代に活動拠点としていた「スタジオ・ビーポップ」と、現在レコーディングの際に使用している東京の「青葉台スタジオ」を結んだ距離(834.194km)に由来している。

札幌のサカナクションファンが彼らを見る目というのは、北海道の人間が大泉洋を見るのと似ている。いくら東京で活躍していても、「おらが町のスター」的な視点を忘れられないのだ。山口一郎は、「東京に住む自分」、「東京で違和感を覚えている自分」をテーマにした曲をいくつも書いている。しかし、だからと言って自分たちがやりたい音楽をやるには東京でなければいけないということも十分理解している。

地元北海道・札幌と東京の距離をタイトルにするということは、今までのバンドの歩みそのものを包括するような意図があるのだろう。その象徴として収録されているのが「セプテンバー」という曲だ。この曲はサカナクション以前に山口一郎がギターの岩寺とやっていたバンド「ダッチマン」時代に作られた曲だそうだ。僕の記憶では、2018年のツアーアンコールでこの曲を演奏している。その時は記憶を頼りに演奏を始めたら何となく形になって、「いいねこれ。新作に入れようか」みたいなことを言っていたと思う。それが本当に収録された。Disc1には東京バージョン、Disc2には札幌バージョンとして。

僕は前作『sakanaction』リリース後に札幌某所で開催されたトークショーに当選し、参加したことがある。その質疑応答のコーナーで山口一郎にこんな質問をした。

サカナクションのライブは、札幌のペニーレーンなんかでやっていたころと比べたら規模も技術も何もかも違っていて、それは最初からこういうことがやりたいというビジョンがあったのか、徐々に広がっていったのかどちらでしょうか?」

それに対して山口一郎は真摯に答えてくれた。

「札幌でやっていた時っていうのは、僕たちは本当に何も知らなくて。音響とかPAとか、ライブを構成するのに必要な技術とか全く知識がなかったんです。それが徐々に自分たちの周りに人が集まってきて、こういうこともできるああいうこともできる、ってなった時にじゃあこういうことがやりたいっていう風にどんどんアイディアが出てきたんです。最初から今みたいな状況は全く想像もしてませんでした」

ライブだけではなく、東京で広がったサカナクションの世界と、札幌で何も知らずに音楽を作っていた時代。それを直線で結ぶことで、この先の未来を指し示すこと。それがこの新作のコンセプトなんだろうと思う。ちなみにDisc1には東京の緯度と経度、Disc2には札幌の緯度と経度が記されている。


サカナクション / 忘れられないの

このアルバムで個人的に最も響いた曲はDisc1の1曲目「忘れられないの」だ。80年代色バリバリなMVも素敵だが、サカナクションがここまで直接的に80年代シティポップな曲を作るとは思っていなかった。ここ数年、日本のシティポップが世界的に再評価されて一種のブームになっているのは事実だし、自身のクラブイベントを主催しているサカナクションはもちろんその動きも察知していたとは思う。

2013年の狂騒を経てサカナクションはJ-POPシーンのトップランナー争いからは下りた(今現在そこにいるのは星野源だと思う)。自分たちの信じる方向に舵を切ることを決めたのである。その結果、ビビッドに世界の音楽シーン、クラブシーンに反応した曲ができた。こうした80年代テイストの曲をこれからも作り続けるということではないと思う。その時その時で自分たちのやりたい音楽、やるべき音楽を信じて作り続けるという意思表示が「忘れられないの」なのだと思う。

ファンとしては次は6年も待たせないでほしいという思いもあるけれど、逆に言えばもうアルバムという形態に固執する必要もないのかもしれないとも思う。信じる道を行ってくれればいい。ファンはそれを楽しみにしている。

どんなに遠くに行ったと思っても、結局はたかだか834.194㎞の間なのだ。