無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

「昔々、ハリウッドで…」-タランティーノの愛と憧憬について

クエンティン・タランティーノ監督最新作。
1969年のハリウッドを舞台に、落ち目の俳優(レオナルド・ディカプリオ)とスタントマン(ブラッド・ピット)の姿を描いています。そして実在の女優シャロン・テートマーゴット・ロビーが演じています。

1969年8月9日にシャロン・テートの身に何が起こったのかは調べればわかることだし、あえてここでは書きませんけれど、本作を見る上においては知っておいた方がいいでしょう。というか、知らないで見てもこの映画のテーマ自体がよくわからないと思います。
例えばNHK朝ドラ『あまちゃん』における東日本大震災とか『この世界の片隅に』における広島への原爆投下のようなもので、この先に何が起こるかを知っているからこそ画面で起こることの意味が深く理解できるという類の物語なわけです。シャロン・テートの運命と、チャールズ・マンソンの名前くらいは知ってから見ることをおすすめします。

本作では1969年のハリウッドとそこに生きる人々の姿が実に生き生きと描かれています。監督も言っているように、ハリウッドが最も無邪気に輝いていた最後の時代に対する憧れのようなものが本作の動機であるようです。
ただ、当時タランティーノはまだ6歳。後に映画オタクになるとしてもリアルタイムで当時のハリウッドを知っている世代ではないでしょう。なので本作は「最もハリウッドが輝いていた時代」に間に合わなかったタランティーノからの、この時代とそこにいた映画人たちへのラブレターのようなものなのだと思いました。
その無邪気さの象徴がシャロン・テートであり、マーゴット・ロビーはビッチ感を全く出さずに天使のようなシャロンを見事に演じていたと思います。特に自分の出た映画を見に行くシーンは白眉ですね。

基本的に全編、タランティーノ作品とは思えないほどのんびりほんわかとしたシーンが続きます。前述の1969年8月9日の運命を知らないで見るとただ単に退屈なエピソードが羅列しているだけと感じるかもしれません。しかしこの「何でもない日常」こそが今回彼の描きたかったものであるはずなのです。
ディカプリオ演じる落ち目の俳優と彼のスタントダブルであるブラピは、モデルになった人物こそいるものの、基本的にはこの時代に数多くいたであろう同様の人物の総体としてとらえられているのだと思います。時代の移り変わりについていけなかった数多くの映画人の象徴なのでしょう。何気ないやり取り(特に、子役の女の子との会話は最高)の中にタランティーノの愛が溢れていてジーンときます。

本作の中で不穏な影を落とすのはやはり「彼ら」マンソン・ファミリーのヒッピーたち。最初は無邪気にブラピに声をかけてきた少女も、ブラピがスパーン牧場に来てからは態度が一変。
この牧場のシーンは緊張感、セリフのやり取りも含めてタランティーノ映画でも屈指の名シーンと言えるのではないでしょうか。

で、ラストの襲撃シーンとオチなのですが、これはまさに「無邪気な時代」を終わらせてしまった「彼ら」へのタランティーノの怒りが結実したものと言えるでしょう。
イングロリアス・バスターズ』ではナチやヒトラーを、『ジャンゴ-繋がれざる者-』では差別主義者の白人たちへと向けられた怒りと同等のものです。映画の中で事実を改変し、虐げられた者や無残に散った者たちの怒りを代弁し復讐する。
そんなタランティーノの「歴史改変3部作」完結編と言っていいと思います。

「彼ら」が終わらせた無邪気な時代はハリウッドだけのものではありません。ロックやサブカルチャーにおいても、非常に重要な分岐点となりました。
イーグルスが「ホテル・カリフォルニア」の中で歌った「1969年以来、うちにはスピリット(魂と蒸留酒ダブルミーニング)を置いてないんだ」という歌詞にもあるように。

ラストも、実にほのぼのとしたシーンで終わります。それでいいのです。これは1969年のハリウッドを舞台にしたおとぎ話だから。
「昔々、ハリウッドで…」というタイトルの映画は、悪漢たちを懲らしめた後に「めでたし、めでたし」で終わるべきなのです。
古き良きハリウッド、そして映画文化全体に対するタランティーノの憧憬と愛情が結実したような映画だと思います。
160分という上映時間も全く長いとは思いませんでした。個人的には彼のフィルモグラフィーの中で最も好きなもののひとつになると思います。


(日本語字幕)ブラピ&ディカプリオ 二大スター共演 映画“ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド”インタビュー 1/2