無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

2019年・私的ベスト10~音楽編~

遅くなりました。2019年私的ベスト音楽編、アルバム10枚選んでます。
今の時代にアルバム単位で聞いて論ずるという行為が果たしてどこまで有効なのかとは思いますが、その価値があるだろうアルバムを自分なりに選んでみたつもりです。
特に順位はつけていませんが、リリース順というわけでもなく、その辺は何となくお察しください。

Cherish/Kirinji

Cherish

Cherish

  • KIRINJI
  • J-Pop
  • ¥2139

11月20日にリリースされたKirinjiの14作目。
前作『愛をあるだけ、すべて』では生演奏と打ち込みを絶妙にバランスさせ、ドレイクなど最新のヒップホップも取り込んでのサウンドメイキングを行っていました。
その方向性を推し進めた今作は堀込高樹がインタビューでも語っているようにはっきりと「サブスク時代に耐えるアルバム」を意識して制作されています。
1曲1曲パンチが利いていてそれぞれ聞かせどころがはっきりしているし、低温の響きが非常に強い。クラブミュージックとしても最前線の音になっていると思います。それでいてアルバム全体を通して聞くとちゃんとメッセージ性というか、ひとつ筋の通った意図が見えてくるのです。
堀込泰行が脱退した後のKirinjiはメロディーメイカーとしての魅力はもちろんですがそれ以上にサウンドクリエイターとしての側面が強調されてきたと思います。その最新形であり、究極まで来たかもと思えるアルバム。

KIRINJI - Almond Eyes feat. 鎮座DOPENESS

Originals/Prince

Originals

Originals

  • プリンス
  • ポップ
  • ¥1630

こういう年間ベスト的なセレクトの場合ベスト盤やコンピレーションは基本的に除外することにしているのですが本作はどうしても入れておきたいです。
プリンスが他のアーティストに提供した楽曲のオリジナル・バージョンを集めた編集盤で、全15曲中14曲が未発表音源。バングルス「マニック・マンデー」やシニード・オコナー「愛の哀しみ」などの大ヒット曲から、ザ・タイム、シーラ・E、アポロニア6、ヴァニティ6などプリンスがプロデュースしたアーティストへの提供曲が並んでいます。
単純にプリンスのオリジナル・デモがどうだったのかという興味以上に、重要なのは細かい年代も含めていつ録音されたものなのかということです。ほとんどの曲は80年代のものですが、80年代のプリンスは『1999』以前と以後、もしくはザ・レボリューション時代、以降のソロ期と活動も多岐に渡り、アルバムごとのカラーも作風もかなり違います。自身のどの作品を作っていた時に録音された音源なのかを読み解くことで80年代のプリンスがどのような活動をしていくのかが見えてくる構造になっていると思います。プリンスに関しては今後も未発表音源がリリースされると思うけど、聞くのが楽しみなような怖いような。

RIGHT HERE/脇田もなり

RIGHT HERE

RIGHT HERE

  • 脇田もなり
  • J-Pop
  • ¥2037

元Especiaの脇田もなり、3枚目のソロアルバム。
Especiaというアイドルグループも80年代のシティポップ的な曲を歌っていたグループですが、ソロデビュー以降の脇田もなりは意識的にその方向で優れたポップスをリリースし続けています。
はっきり言って、ソロデビュー作『I am ONLY』もセカンド『Ahead!』もメチャクチャ傑作です。シティポップが再評価されてる今の時代になぜ売れないのか、全く意味が解りません。本作『RIGHT HERE』もポップスとしての強度と彼女の透明なボーカルが堪能できるいいアルバムです。ONIGAWARA斉藤伸也やDorian、冗談伯爵の新井俊也ら作家陣の職人のような仕事もすばらしい。自分の今の好みにズバッとハマるアルバムなのは間違いないし、こういうアルバムに光が当たってほしいなあ、という意味も込めて選びました。

脇田もなり - エスパドリーユでつかまえて (Official Music Video)

Origin/Jordan Rakei

Origin

Origin

  • Jordan Rakei
  • R&B/ソウル
  • ¥1528

ロンドン出身のシンガー/トラックメイカーであるジョーダン・ラカイの3作目。
一昨年あたりからトム・ミッシュとかのソウル・ポップ系の音をよく聞くようになったのですが、その流れで出会ったアーティストです。
ソウルフルなんだけどどこか陰のある感じはいかにもイギリス的で、ちょっとジェームズ・ブレイクっぽい部分もありますね。基本的に歌を聞かせる人だと思うのですが自分でトラックも作るし、そして何よりも音の精度が高いというか。NONA REEVES西寺郷太氏言うところの「リズムの画素が細かい」音だと思います。聴いていて非常に気持ちいいし、ダンスミュージックとしても素晴らしいと思います。"Rolling Into One"は2019年ベストソングと言ってもいいくらい本当によく聴きました。

Jordan Rakei - 'Rolling into One'

So kakkoii宇宙/小沢健二

オリジナルアルバムとしては2006年の『Ecology of Everyday Life 毎日の環境学』以来、13年ぶりとなる新作。2010年にライブ復帰、2017年シングル「流動体について」をリリースして以降の新曲はほぼすべて収録されています。
2000年代以降の彼の活動(「うさぎ!」などの文筆活動も含めて)を語る上で避けて通れないのが現在の文明、もしくはグローバルな消費社会に対しての明確なNOだと思います。それは歌詞の中で、あるいはライブのMCの中で明確に示されています。それは時に哲学的だったり宗教的だったりもしますが、そういう受け止め方ができるのは『LIFE』の時を直に知っている世代だけなんではないだろうかという気もするのです。正直今の小沢健二を若い世代がどう見ているのか、僕にはよくわかりません。
本作は現代のポップスとしていいバランスで製作されていると思うし、小沢健二の哲学が明確に入っていながら聞き手を遠ざけない親密さがあると思います。彼のソウル色が強く出ているアレンジもすごく好きです。今の小沢健二が若い人にとって「楽しげに歌うちょっと歌の下手なオジサン」以上の存在であることを願っています。

小沢健二『彗星』MV Ozawa Kenji “Like a Comet”

IGOR/Tyler, The Creator

IGOR

IGOR

  • タイラー・ザ・クリエイター
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥1630

2019年はジ・インターネットのスティーブ・レイシーがソロデビューアルバムをリリースしたり(これも傑作でした)、Odd Future界隈が賑やかと思っていたらリーダーであるタイラー・ザ・クリエイターのソロ作がドロップされました。
自分は正直コンテンポラリーなヒップホップやR&Bに精通している人間ではないし、そもそも現在のヒップホップとソウル・R&Bの境目がよくわかりません(実際、区別がつきにくい作品やアーティストが多いと思います)。その中でサウンドクリエイター集団としてのOdd Future(特にジ・インターネットですが)はすごく興味があったわけですが。本作『IGOR』はもちろんヒップホップでありながら非常にソウル色が強く、聞きやすく、オシャレでありなおかつ美しい。タイラーがソウルミュージックを自分のフィルターを通して表現したようなアルバムだと思います。その中で山下達郎の「Fragile」がサンプリングされているというのはとても興味深い。日本のシティポップが海外で評価されていることの証左とも言えますが、このソウル色が強いアルバムで取り上げられたというのが重要な本質をついているんじゃないかと思います。

893.194/サカナクション

本作についてはブログでかなりの文字量で語ったのでそちらをご参照ください。
magro.hatenablog.com


サカナクション / 忘れられないの


thank u, next/Ariana Grande

アリアナ・グランデはすでにトップのR&Bシンガーとして人気を確立していたわけですが、本作でその存在は世代や偏見を超えて絶対的な女王としての位置を確立したような気がします。
タイトル曲や「7 rings」といった曲で現代的な強い女性像をはっきりと示し、ロールモデルとしての役割も十二分に果たしています。しかしそうした曲がことごとく彼女自身のプライベートから生み出されているという。
「Thank you, Next」についてはこんな記事を書いたりしてますので読んでみてください。
utaten.com

プライベートでの悲しい出来事、メディアやパパラッチによる執拗な取材攻撃、ネットでの罵詈雑言。もちろん彼女もそれをすべて受け入れ乗り越えたわけではないでしょうが、こうして曲にすることで彼女自身のセラピーにもなり、また多くの女性たちにも勇気を与える。そんなアンセムを連発した今年のアリアナは正直無敵でした。

thank u, next (clean music video)

THA BLUE HERBTHA BLUE HERB

THA BLUE HERB

THA BLUE HERB

北は札幌の地で20年以上に渡り独自のヒップホップを磨き続けてきたTHA BLUE HERB。その歩みを総括した集大成のような2枚組アルバム。全30曲のボリュームはトラックも歌詞の量もあまりに情報量が多く、一気に聞くと疲れてしまうかもしれません。聞き流すこともできず、BGMとして消費することもできない。真剣勝負の中聞き手も真正面から身構えて向き合わなければならないアルバムだと思います。
東京とは距離を置き札幌という街で自分たちの音楽を作り続けてきた圧倒的な自負と誇り。自分たちと同じように夢を持ち音楽を作っていた、そしてその夢が破れ去っていったかつての仲間たち。現在のヒップホップ、とりわけフリースタイルに対する想い。様々なテーマを圧倒的な筆力とライムで叙事詩のように描き出していくのです。
僕が彼らに出会ってからもすでに20年近く。このアルバムに向き合うことは自分のこの20年を振り返ることでもありました。「LOSER AND STILL CHAMPION」は涙なくしては聞けません。「人の一生そいつの作品なんだよ/俺のHIP HOPはあんたの何なの?」僕はこの先この言葉をずっと抱えて生きていくことになると思います。

When We All Fall Asleep, Where Do We Go?/Billie Eilish

昨今の女性アーティストの台頭という中でも、セクシャルな部分を強調するとかLIZZOのようにボディポジティブ的な方向で表現するとか様々なアーティストがいますが、ビリー・アイリッシュはそのどれにも当てはまりません。
歌詞では恋愛を歌っていたりもしますがルックスに関しては性的なイメージを意図的に遠ざけています。まさにジェネレーションZ、新世代のアーティストという感じがします。
内省的な曲を爆発的なエモーションで歌い上げるのではなくウィスパーボイスでささやく。そして兄フィニアスと作り上げたミニマルなビートはDIY的でありながらアリーナを熱狂させるキャッチーさとダイナミズムを持っている。矛盾するような要素を内包した世界が彼女のスケールの大きさを示していると思います。堂々とした佇まいはすでにスターの風格と貫録を感じさせます。最初に聞いた時、曲のホラー的イメージが映画『ヘレディタリー』を見た時の感覚に近いものを感じました。トータルで見ると2019年はビリー・アイリッシュの年だった、という気がします。

Billie Eilish - bad guy (with Justin Bieber) [Official Music Video]


以上です。
2020年はどんな音楽に出会えるでしょうか。楽しみです。

2019年・私的ベスト10~映画編~

今年は昨年よりは多かったけれど、劇場で見た作品は40本程度でした。スガイディノスの閉館という悲しい出来事もあって見逃した作品も多かったです。あと僕は配信見てないので、Netflix限定作品とか取りこぼしてるのも痛いです。『アイリッシュマン』見てない人間のランキングと思って見てください。

10位『ROMA/ローマ』

www.netflix.com

アルフォンソ・キュアロンによる、アカデミー賞監督賞を受賞した『ゼロ・グラビティ』以来の作品。Netflixで配信されながらアカデミー賞ノミネートされたことで話題になりましたが、基本これはやはり劇場の大画面で見るべき映画なんじゃないかと思いました。異常なくらい細かい部分までこだわって画面が作り込まれていると思います。撮影も兼任したキュアロンのアカデミー受賞にも納得です。劇場公開してくれたイオンシネマには感謝しかないですね。

1970年のメキシコを舞台に、ある裕福な家庭とそこで働くメイドの女性の生活が描かれます。一見何の変哲もないような日常が描かれているようで、実はそこには当時のメキシコの政治情勢や生活格差、女性差別などが入念に描かれているのです。その辺は画面を通しただけですべてを理解するのは難しいかもしれません。僕も町山智浩氏の解説を事前に聞いていなければ理解できなかっただろうと思います。

この家族はキュアロン監督の幼少時をモデルにしています。実際に、キュアロン家にはクレオのようなお手伝いさんがいたのだそうです。彼女が受けた差別や苦労など当時何も気づかなかった幼いキュアロンは、贖罪としてこの映画を撮ったのだといいます。

大きく心を揺さぶられるというよりも、見終わってからずっと何かが刺さっているような感覚になる映画でした。ストーリーやセリフではなく、映像そのもので状況を語り伏線を回収していく手際が実に見事でした。

9位『よこがお』

よこがお Blu-ray 特別版

よこがお Blu-ray 特別版

深田晃司脚本・監督、筒井真理子主演によるヒューマンサスペンス映画。印象的にはノワール作品と言ってもいいかもしれません。ある誘拐事件をきっかけに、無実でありながら加害者として世間の目に晒され人生を一変させてしまった女性の物語です。

個人的にこういう映画は見ていていたたまれなくなってしまう所があって、あまり好んで見に行くことはないのですが、友人からチケットを譲り受けて見に行きました。結果として年間ベスト級の作品に出合えたので感謝です。

脚本の組立ても見事だと思うし、シーンひとつひとつにきちんとした演出意図や、後々気づくような仕掛けが随所にちりばめられているのですね。例えば主人公市子の着ている服の色や髪の色。それがラスト近くにどうなるか、というのがポイントになっていたり。こういう仕掛けは昔からあるし珍しいものではないかもしれませんが、ここまで計算して緻密にやっている人は日本映画ではあまりいないのじゃないかと思います。

そして市子を演じた主演の筒井真理子が、本当に素晴らしい。市子は40代くらいの設定だと思いますが、映画前半と妖艶な色気を放つ中盤、そして後半の一気に老け込んだような表情とが見事に演じ分けられていて、まさにこれは彼女のための映画だと思いました。筒井真理子さんは現在58歳とのことですが、全くそうは見えません。ポール・バーホーベン監督の『ELLE』で主演したイザベル・ユペールを思い出しました。

マスコミの報道姿勢だったり、現在の社会にある問題を扱ってはいてもそこにフォーカスしたメッセージ性の強い映画では決してない。リアリティを踏み外すことなく、人間の怖さや滑稽さを象徴するある種の寓話として描かれているのかな、と思いました。

8位『バイス

バイス [Blu-ray]

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  • 出版社/メーカー: バップ
  • 発売日: 2019/10/09
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アメリカ史上最強で最凶の副大統領」と呼ばれたディック・チェイニーを描いた伝記映画。監督は『マネー・ショート』のアダム・マッケイ。監督は『マネー・ショート』でも難しい金融用語などを第四の壁を壊すことで説明するような奇抜な演出を行ってましたが、本作でもその手法は活かされています。

そもそも、作品の語り手というか、ナレーターは誰なんだ?というのも本作のキモでしょう。このようなブラックユーモアが全編を支配しています。そして何よりも、そんな冗談のようなことが実際にあったのだという事実こそが最も笑えない冗談として見るものを襲ってくるのです。

主演のクリスチャン・ベール含め、ラムズフェルドを演じたスティーブ・カレル、息子ブッシュを演じたサム・ロックウェルのそっくりぶりも見ものです。個人的にはパウエル国務長官とライス大統領補佐官が似すぎてて驚きました。途中、どこまでが俳優の演技でどこまでが実際の映像なのかわからなくなるほどです。

後半は息子ブッシュの副大統領となり、9.11テロからイラク戦争へと舵を切る非常に重要な世界の転換点が描かれます。映画の冒頭に「チェイニーは秘密主義なので事実や取材をもとに予想で作った」ということが出てきますが、実際にこれに近いことが行われていたのだろう、という説得力が圧倒的です。

トランプ以降の世界の分断やナショナリズムの台頭、中東情勢や移民問題など、現在の世界における様々な問題の一端はこの時期にチェイニーの策略によって生まれたものなのだ、という本作の主張は恐ろしささえ感じます。しかもそれは政治的な事情ではなく、石油利権のためなのですから。

この映画で描かれたことは昔話ではなく、今の世界に通じているんだということが最も重要なテーマなのでしょう。ラストのクレジットで釣り針が映し出されるのは、「美味しい餌につられるな」「騙されるな」という民衆に対するメッセージなのだと思います。

7位『愛がなんだ』

愛がなんだ (特装限定版) [Blu-ray]

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角田光代による原作小説は未読ですが、これは単なる恋愛ものではなく一人の女性が殻を破り解放されていく物語なんじゃないかと思いました。そういう意味では、同じく角田氏原作の『紙の月』(監督:吉田大八・主演:宮沢りえ)にも通じるテーマだと思います。

本作の劇中で常に周囲に流され、自分の意思を持たずに生きているようなテルコが声を荒げるのがナカハラに対して。ナカハラはテルコの友人である葉子に片思いしており、常に「都合のいい男」として存在しています。同じ境遇で鏡合わせのような存在としてシンパシーを感じていたナカハラから、「もう葉子さんを好きでいるのはやめる」と言われてテルコは激昂します。「見返りなんて求めてんじゃねえよ!」と。最初は単純に異性として好意を持って始まったのかもしれませんが、今やマモルを好きでいることそのものがテルコの存在意義であり、アイデンティティとなっていく。そこを否定しまうとテルコ自身の存在が崩れ落ちてしまうのです。だから何があってもテルコは絶対にマモルを好きでい続けるのです。

原作から改変されているというラストについては意見が分かれるかもしれません。ストーカー的だと恐怖心を抱く人もいるのではないかと思います。個人的にはそれよりもむしろ、テルコの至った境地は新興宗教とか、疑似科学とか地球平面説とかを信じる人たちの精神性に近いのかもしれないと思いました。いずれにしろ普通の恋愛ではないのでそういう観点から見ていても感情移入できないでしょう。好きとは何か、何かを好きでいる自分とは何なのかという哲学的なテーマを持った作品だと思います

6位『運び屋』

87歳の老人がメキシコ麻薬カルテルの運び屋をやっていたという実話を元にしたクリント・イーストウッド監督の新作。「俳優業は引退」と言っていた御大が「この役は他人にやらせたくなかった」と俳優復帰。『グラン・トリノ』以来の監督兼主演作として話題になりました。

よぼよぼのおじいさんがコカイン何百キロも運んでるというプロットだけでも可笑しいわけです。予告編だとちょっとシリアスなドラマ風に演出されてましたが(もちろんそういう側面もあるわけですけど)、基本的にはコメディタッチで話が進みます。特に、運び屋家業を始めてしばらくはやっていることの犯罪性と画面で起きていることの暢気さがあまりにミスマッチでずっとニヤニヤしながら見ていました。

強面の麻薬売人たちとイーストウッドじいちゃんの対比も面白いし、何があっても動じないイーストウッドもとぼけてて面白いし、だんだん売人たちに好かれて受け入れられていく過程も楽しいです。「○回目」って感じで、運び屋仕事の回数がだんだん増えていくうちに車が豪華になったり仕事に慣れていくイーストウッドの姿がとてもいいのです。

もう一つの軸は主人公アールと家族の関係です。仕事に没頭するあまり家族を顧みてこなかった後悔が主人公にはずっとあるのですが、よく言われているようにこれはイーストウッド自身の人生を反映しています。そもそもモデルとなったレオ・シャープという人については私生活や詳しいことがわからなかったそうで、それならばということでイーストウッドは自身の人生を元にドラマを創作したそうです。溝ができている娘役に本当に自分の娘をキャスティングするとか、ほとんどリアリティ・ショーです。

愛弟子のブラッドリー・クーパーも俳優イーストウッドとの共演は初めて。出演者みんな、イーストウッドとの共演を楽しんでいるのが画面からも伝わってくるようです。本当に好きな作品です。

5位『グリーンブック』

グリーンブック [Blu-ray]

グリーンブック [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: ギャガ
  • 発売日: 2019/10/02
  • メディア: Blu-ray

第91回アカデミー賞作品賞受賞作品。
1962年、黒人ピアニストのドン・シャーリーとイタリア系ボディーガード兼運転手のトニー・バレロンガが人種差別時代の南部をコンサートツアーで回るという実話をもとにした映画。トニーの実子であるニック・バレロンガが製作と脚本を務めています。

こういうバディ・ムービー、ロード・ムービーは大好物なので、個人的にはプロットを聞いただけでこれは面白い映画だと思いました。当初反発しあう二人が旅を通じて理解しあい友情を育んでいく。人種差別ものだし、LGBTの要素も入っているし、現代的なテーマの作品でありながら例えば『ムーンライト』のようにヘヴィーでリアルな物語ではありません。万人が見て感動できる文部省推薦タイプの作品と言っていいと思います。ただその分差別描写や暴力描写は若干抑え目(実際はもっとひどい場面もあったはず)で、アメリカ本国でも薄っぺらいという評価があったのはわかる気がします。(スパイク・リーが許せなかったのもそういうところなのでは)

ただ決して白人目線で都合のいい物語になっているわけではないし、バランスとして偏ってはいないと思います。細かいアイテムを使っての伏線や、二人の関係性の変化を巧みに見せる手法も見事。食事の場面がことごとくドラマと強く結びついているので、フード映画としても非常に優れていると思います。万人におススメできる映画。

4位『ブラック・クランズマン』

白人至上主義団体のKKKに黒人刑事が潜入捜査を行ったという実話を元にした映画。まずプロットだけで面白そうだし、スパイク・リー監督と聞いてさらに倍という感じだったけど、実際期待以上の面白さでした。

黒人が主人公で、やられる白人側が徹底的にマヌケに描かれているわけですが、そういう意味でも本作は実に正しい「ブラックスプロイテーション映画」なのだと思います。なので、実際の話では1970年代後半に起きた実話をブラックパワー全盛の1972年に舞台を移しているわけですね。時代設定を変えたことで実に痛快なブラックムービーになっていると思います。

こういう潜入モノのお決まりはバレるかバレないかというサスペンスですが、その辺もちゃんと抑えています。潜入する身代わり刑事を演じたアダム・ドライバーユダヤ人という設定も原作にはないものですが、これも大きなポイントでした(KKKユダヤ人も差別しているので)。主人公ロンを演じたジョン・デヴィッド・ワシントンはデンゼル・ワシントンの息子ですが初めて見ました。今後の活躍にも期待です。

そしてこの映画で最も重要なメッセージは本編終了後のパートにあると言っていいでしょう。トランプ大統領就任以降顕在化してきた差別と分断についてです。要は、1970年代を舞台に描いた寓話が「今も全く変わっていないどころか悪化している」ということを実際の映像を使って語っているのです

スパイク・リーをこの作品に向かわせたのは現在のアメリカに対する怒りなのだと思います。本編の冗談めかしたコメディタッチの描き方と、ラストのドキュメンタリーのシリアスさ。この対比が際立っているし、それこそがスパイク・リー監督のこれまでのキャリアを包括しているようにも見えました。

3位『アベンジャーズ/エンドゲーム』

『インフィニティ・ウォー』の続編であり、2008年の『アイアンマン』から22作に渡って作り上げてきたMCUという巨大なストーリーの大きな区切りとなる作品です。
同じ気持ちの人は多いと思いますが、正直一本の映画としてどうこうは言いたくないというか。この10年近くの自分の人生にも重なってくることなので。10年間の壮大なサーガにふさわしい区切りをつけてくれたことには本当に感謝しかありません。気持ち的には圧倒的に1位なのです。

3時間という、ハリウッドのブロックバスター映画としては今や考えにくい長さの映画ですが冗長さはほとんど感じません。大きく1時間ごとに場面や展開が変わる3幕構成になっていて、それぞれにきちんと物語の起伏や見せ場があるので。

1幕目は前作の続きで、生命の半分を失った世界とヒーローたちの喪失を描くシーン。しかしここがあまり陰鬱とせず、コメディ的なテンポで描かれるのが実にマーベルらしい。その主役はやはりソーでしょう。このコメディ展開は『マイティ・ソー/バトルロイヤル』のカラーに近いと思います。

2幕目はアントマンが復帰してからの所謂「タイム泥棒」編。これまでのMCU作品の振り返りも含めて、今までのファンへの目配せや大ネタ、仕掛けが満載です。タイム泥棒の理論についてはあまり深く考えない方がいいのでしょう。

3幕目は最後の大決戦。いよいよクライマックスです。最も興奮したのはやはり、キャップがムジョルニアを手にしたシーンです。泣きました。そしてラストですね。本当に大きな物語が終わったのだなと思う幕切れでした。

今までMCUが紡いできたのは迷い、悩み、葛藤しながらも自らを犠牲にし人々を救う人間臭いヒーローの姿です。それはつまりトニー・スタークとスティーブ・ロジャースの物語だったのだと思います。そういう形で決着がついてくれて、そして2人の人生にけじめがついてくれて本当に良かったと思います。

そして超長いエンドクレジットの後に間髪入れず『スパイダーマン/ファー・フロム・ホーム』の最新予告編が流れるわけですが。これがホントにグッとくるものだったんですよね。それぞれ単体の作品ではなくMCU全体の流れや世界観としてブレないものを作り続けてきたことは本当に感嘆するし畏敬の念すら感じます。ありがとうございました。

2位『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

この作品に関してはブログですでに書いているのでそちらで読んでいただければと思います。
本当に好きな映画です。タランティーノ作品の中でもトップクラスに好きです。
magro.hatenablog.com

1位『ジョーカー』

ハングオーバー!』シリーズなどで知られるトッド・フィリップス監督がバットマンにとって、そしてアメコミ史上最高のヴィランであるジョーカーの誕生を描いています。

ベネチア国際映画祭の金獅子賞を受賞というニュースは衝撃でしたが、確かにこれはアメコミ映画という枠を超えて普遍的なテーマを扱った重厚な作品だと思います。例えば是枝裕和監督の『万引き家族』やジョーダン・ピール監督の『アス』(これも年間ベスト10クラスの作品でした)などと同じテーマの作品なのでしょう。
そのテーマとはつまり現代的な格差社会の話だと思います。富める者はより富み、貧しいものはさらに貧しくなる社会の分断の中で主人公アーサーは狂気の一線を越えていくことになるのです。

心優しい主人公がこれでもかという悲惨な状況に落とし込まれていく様はかなりヘヴィーではあるけれど、単なる悲惨な話になっていません。笑えないユーモアのせいと、どこからが現実でどこまでが妄想の世界なのかを意図的にわかりづらい構造にしているためです。
主人公アーサーからしてがいわゆる「信用できない語り部」であり、画面で起こる物事が事実なのどうなのかがわかりにくいし、その構造は後半に行くにしたがってより強くなっていきます。個人的にはアーサーが「ジョーカー」になってからの話は全て夢か妄想なのではないかとすら思います(その前にアーサーの死を連想させる描写があるので)。

タクシードライバー」や「狼よさらば」など、70年代の様々な映画を下敷きにしつつ、実に多層的な物語になっています。正直、これがジョーカーの誕生物語として今後のスタンダードになるとは思わないし、今後シリーズとしてバットマン作品とリンクしていくとも考えにくいです。あくまでも現代的な社会問題をテーマにした映画で、アメコミは題材として使っただけというものなんじゃないかと思います。この映画が世界的にこれだけヒットしたのは普段アメコミ映画を見ない層が見に行ったからでしょう。多くの人たちにアピールする魅力とテーマがあったということなのだと思います。

以上です。
ちなみに、あと5本惜しくもベスト10に漏れた作品も紹介しておきます。明日ランキング考えたらこの辺が入ってきてもおかしくないくらいです。

THE GUILTY/ギルティ(字幕版)

THE GUILTY/ギルティ(字幕版)

  • 発売日: 2019/10/16
  • メディア: Prime Video

来年もいい映画に出合えますよう。

アイドルとしてのユニコーン

ユニコーン ユニコーン100周年ツアー"百が如く"
■2019/11/15@カナモトホール

UC100V

UC100V

今年のユニコーンは春にアルバム『UC100V』をリリース、そしてツアーを行った。ツアーは夏フェス期間を挟んで前後半に分かれていて、後半のツアーに合わせて今年2枚目のアルバム『UC100W』をリリース。いつになく精力的に走っていた。

とは言え。アルバムはユニコーンらしいものではあるものの、年間ベスト的な位置に来る傑作ではないし目新しさも感じない。近作と同様メンバー全員の楽曲が満遍なく収録され、端的に言えば民生の比率が低くなっている。全体の方向付けやプロデュースはABEDONが中心に行っているのだろう。それは今の彼らが自分たちに合ったやり方を見つけた結果なのだろうし、そこについてとやかく言うつもりはない。しかしアルバムを聞いていても「この曲をライブで聞きたい」と思うような曲は、正直少ないと言わざるを得ない。

いきなり否定的なことを書いてしまったけれど、じゃあなんでユニコーンのライブに足を運ぶのかと言われればそれはこのメンバー5人に会いたいからだ。新曲の出来なんかよりも、5人のおっさんたちがステージ上でわちゃわちゃやりながら演奏する姿を見たいからだ。それ以外にない。

2019年はユニコーンが再始動してから10年、ABEDONが加入し現メンバーとなったアルバム『服部』から30年、そしてドラムの川西幸一が還暦(見えねえ)ということで全部足して100周年というこじつけもいいところのアニバーサリーイヤー。

実際、アニバーサリー感は若干あるものの実に通常営業のユニコーンのライブだった。各メンバーソロ曲での見せ場があり、MCは民生とABEDONが中心で回し、名曲で決めるところは決める。序盤で「すばらしい日々」をやって「はいはいもうこれで十分でしょ、後は好きにやるね」的なやり逃げ感も実にユニコーン。個人的には『服部』収録曲を1フレーズごとに短く繋げたメドレーが最高だった。(これ、『ケダモノの嵐』版でもやってほしいなあ)

再始動後10年経ったということは、すでに以前の活動期間を超えている。フェスでもツアーでも過去の名曲セットリストで盛り上がり有難がったのはもう昔の話。新曲多めでも何でも、50過ぎたおっさんが楽しく遊んでいる姿を見られればそれでいいのだ。逆に言えば、そういうファンでなければ今のユニコーンのライブは楽しめないと思う。というわけで、なんだかアイドルのライブを見てるような気分になった。それでも、「HELLO」を聞いているとやはりグッと来てしまったな。名曲だ。

■セットリスト
1.M&W
2.すばらしい日々
3.おかしな2人
4.That's Life
5.Good Timeバレンタイン
6.Lake Placid Blue
7.7th Ave.
8.でんでん
9.服部メドレー
10.BLUES
11.4EAE
12.55
13.半世紀少年
14.チラーRhythm
15.Boys&Girls
16.Feel So Moon
17.ZERO
<アンコール>
18.HELLO

UC100W

UC100W

「昔々、ハリウッドで…」-タランティーノの愛と憧憬について

クエンティン・タランティーノ監督最新作。
1969年のハリウッドを舞台に、落ち目の俳優(レオナルド・ディカプリオ)とスタントマン(ブラッド・ピット)の姿を描いています。そして実在の女優シャロン・テートマーゴット・ロビーが演じています。

1969年8月9日にシャロン・テートの身に何が起こったのかは調べればわかることだし、あえてここでは書きませんけれど、本作を見る上においては知っておいた方がいいでしょう。というか、知らないで見てもこの映画のテーマ自体がよくわからないと思います。
例えばNHK朝ドラ『あまちゃん』における東日本大震災とか『この世界の片隅に』における広島への原爆投下のようなもので、この先に何が起こるかを知っているからこそ画面で起こることの意味が深く理解できるという類の物語なわけです。シャロン・テートの運命と、チャールズ・マンソンの名前くらいは知ってから見ることをおすすめします。

本作では1969年のハリウッドとそこに生きる人々の姿が実に生き生きと描かれています。監督も言っているように、ハリウッドが最も無邪気に輝いていた最後の時代に対する憧れのようなものが本作の動機であるようです。
ただ、当時タランティーノはまだ6歳。後に映画オタクになるとしてもリアルタイムで当時のハリウッドを知っている世代ではないでしょう。なので本作は「最もハリウッドが輝いていた時代」に間に合わなかったタランティーノからの、この時代とそこにいた映画人たちへのラブレターのようなものなのだと思いました。
その無邪気さの象徴がシャロン・テートであり、マーゴット・ロビーはビッチ感を全く出さずに天使のようなシャロンを見事に演じていたと思います。特に自分の出た映画を見に行くシーンは白眉ですね。

基本的に全編、タランティーノ作品とは思えないほどのんびりほんわかとしたシーンが続きます。前述の1969年8月9日の運命を知らないで見るとただ単に退屈なエピソードが羅列しているだけと感じるかもしれません。しかしこの「何でもない日常」こそが今回彼の描きたかったものであるはずなのです。
ディカプリオ演じる落ち目の俳優と彼のスタントダブルであるブラピは、モデルになった人物こそいるものの、基本的にはこの時代に数多くいたであろう同様の人物の総体としてとらえられているのだと思います。時代の移り変わりについていけなかった数多くの映画人の象徴なのでしょう。何気ないやり取り(特に、子役の女の子との会話は最高)の中にタランティーノの愛が溢れていてジーンときます。

本作の中で不穏な影を落とすのはやはり「彼ら」マンソン・ファミリーのヒッピーたち。最初は無邪気にブラピに声をかけてきた少女も、ブラピがスパーン牧場に来てからは態度が一変。
この牧場のシーンは緊張感、セリフのやり取りも含めてタランティーノ映画でも屈指の名シーンと言えるのではないでしょうか。

で、ラストの襲撃シーンとオチなのですが、これはまさに「無邪気な時代」を終わらせてしまった「彼ら」へのタランティーノの怒りが結実したものと言えるでしょう。
イングロリアス・バスターズ』ではナチやヒトラーを、『ジャンゴ-繋がれざる者-』では差別主義者の白人たちへと向けられた怒りと同等のものです。映画の中で事実を改変し、虐げられた者や無残に散った者たちの怒りを代弁し復讐する。
そんなタランティーノの「歴史改変3部作」完結編と言っていいと思います。

「彼ら」が終わらせた無邪気な時代はハリウッドだけのものではありません。ロックやサブカルチャーにおいても、非常に重要な分岐点となりました。
イーグルスが「ホテル・カリフォルニア」の中で歌った「1969年以来、うちにはスピリット(魂と蒸留酒ダブルミーニング)を置いてないんだ」という歌詞にもあるように。

ラストも、実にほのぼのとしたシーンで終わります。それでいいのです。これは1969年のハリウッドを舞台にしたおとぎ話だから。
「昔々、ハリウッドで…」というタイトルの映画は、悪漢たちを懲らしめた後に「めでたし、めでたし」で終わるべきなのです。
古き良きハリウッド、そして映画文化全体に対するタランティーノの憧憬と愛情が結実したような映画だと思います。
160分という上映時間も全く長いとは思いませんでした。個人的には彼のフィルモグラフィーの中で最も好きなもののひとつになると思います。


(日本語字幕)ブラピ&ディカプリオ 二大スター共演 映画“ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド”インタビュー 1/2

『834.194』についての雑感。

https://music.apple.com/jp/album/834-194/1465208767?uo=4&at=1000lvHZ

前作『sakanaction』から6年余り。日本のミュージックシーンとしては異例のブランクを経てリリースされたサカナクションの新作『834.194』である。もちろん、バンドはこの間活動を休んでいたわけではない。ベーシスト草刈愛美の産休はあったにせよ、シングルのリリースやツアーは定期的に行ってきた。自身が主催するクラブイベント「NF」を立ち上げるなど、その活動は多岐に渡り、山口一郎個人での仕事も考えると逆によくアルバムを作れたなと思うほどの多忙ぶりだったと思う。

前作以降のシングル曲を全て収録し、結果2枚組という形態に落ち着いたこのアルバムは一見コンセプチュアルでありながら、非常に歪なものだと思う。Disc1には「多分、風」「陽炎」「新宝島」など、既発のシングルでもアッパーでキャッチーな曲が並ぶ。Disc2は「グッドバイ」「ユリイカ」をはじめ、内省的な曲が並ぶ。という風に考えることは可能だ。しかしどうにもそれだけでは座りが悪い。

昨年リリースされたベストアルバム『魚図鑑』では、シングルでありながら収録されていない曲があった。それは「グッドバイ」「ユリイカ」「サヨナラはエモーション」「蓮の花」である。正確には完全生産限定プレミアムBOXのDisc3「深海」に「グッドバイ -binaural field recording-」が収録されているのだけど、オリジナルバージョンではない。これらの曲をベストから外したのは曲に満足行ってないということではなく、来る新作において核になるべき曲だから安易にベストに収録することを避けたのではないかと思っていた。その考えは、半分当たりで半分外れという感じか。『魚図鑑』にも収録された「新宝島」や「陽炎」もこの新作に収録されているのだし、単純にその観点だけでこの新作は語れないと思う。

何回か通してアルバムを聴いてみて「「新宝島」とか「陽炎」とか、この辺の曲を外したら1枚で収まったんじゃないか」と思ったこともある。しかし、それでは今のサカナクションを表すのには不十分だとも思った。


サカナクション - グッドバイ (MUSIC VIDEO)

このアルバムの出発点となったのは間違いなく「グッドバイ/ユリイカ」のシングルだ。2013年のサカナクションは『sakanaction』がオリコンチャートで初の1位を獲得し、紅白歌合戦にも出場。テレビの歌番組にも積極的に出演し、「Aoi」がNHKサッカーテーマ曲になるなど、お茶の間にもサカナクションの音楽が浸透した1年だった。

山口一郎は東京進出以降、「売れる」ということをひとつのキーワードにしてきた。それはもちろん下世話な意味だけではない。クラブミュージックというアンダーグラウンドな音楽と日本のメジャーな音楽シーンとをつなぐ存在になりたいという彼らの意思を反映したものだ。そしてそれが最も結果として出た1年が2013年だったと思う。サカナクションは目指していた場所に到達した。さぞかし大きな達成感があったことだろう。がしかし、次の一手としてリリースされたシングル「グッドバイ」はこんなフレーズで始まる。

探してた答えはない
此処には多分ないな

2013年のサカナクションをセルアウトなどとは僕は思わない。あくまでも彼らは自分たちの信じる音楽で頂点に立ったと思っている。しかし、そこから見える景色は山口一郎が思っていたものとは違うものだったのだろう。サカナクションはその場所で戦い続けることをしなかった(できなかった)。一度経験したからもういい、と思ったのかもしれない。サカナクションは、山口一郎は、自分たちの進む道が決してこの方向ではないことを知ってしまった。だから、新しい世界で何を歌うのかわからないうちに、そこから降りてしまったのだ。この内省から『834.194』は始まっている。

そして同時に、もっと前から始まってもいる。「834.194」という数字はサカナクションが札幌時代に活動拠点としていた「スタジオ・ビーポップ」と、現在レコーディングの際に使用している東京の「青葉台スタジオ」を結んだ距離(834.194km)に由来している。

札幌のサカナクションファンが彼らを見る目というのは、北海道の人間が大泉洋を見るのと似ている。いくら東京で活躍していても、「おらが町のスター」的な視点を忘れられないのだ。山口一郎は、「東京に住む自分」、「東京で違和感を覚えている自分」をテーマにした曲をいくつも書いている。しかし、だからと言って自分たちがやりたい音楽をやるには東京でなければいけないということも十分理解している。

地元北海道・札幌と東京の距離をタイトルにするということは、今までのバンドの歩みそのものを包括するような意図があるのだろう。その象徴として収録されているのが「セプテンバー」という曲だ。この曲はサカナクション以前に山口一郎がギターの岩寺とやっていたバンド「ダッチマン」時代に作られた曲だそうだ。僕の記憶では、2018年のツアーアンコールでこの曲を演奏している。その時は記憶を頼りに演奏を始めたら何となく形になって、「いいねこれ。新作に入れようか」みたいなことを言っていたと思う。それが本当に収録された。Disc1には東京バージョン、Disc2には札幌バージョンとして。

僕は前作『sakanaction』リリース後に札幌某所で開催されたトークショーに当選し、参加したことがある。その質疑応答のコーナーで山口一郎にこんな質問をした。

サカナクションのライブは、札幌のペニーレーンなんかでやっていたころと比べたら規模も技術も何もかも違っていて、それは最初からこういうことがやりたいというビジョンがあったのか、徐々に広がっていったのかどちらでしょうか?」

それに対して山口一郎は真摯に答えてくれた。

「札幌でやっていた時っていうのは、僕たちは本当に何も知らなくて。音響とかPAとか、ライブを構成するのに必要な技術とか全く知識がなかったんです。それが徐々に自分たちの周りに人が集まってきて、こういうこともできるああいうこともできる、ってなった時にじゃあこういうことがやりたいっていう風にどんどんアイディアが出てきたんです。最初から今みたいな状況は全く想像もしてませんでした」

ライブだけではなく、東京で広がったサカナクションの世界と、札幌で何も知らずに音楽を作っていた時代。それを直線で結ぶことで、この先の未来を指し示すこと。それがこの新作のコンセプトなんだろうと思う。ちなみにDisc1には東京の緯度と経度、Disc2には札幌の緯度と経度が記されている。


サカナクション / 忘れられないの

このアルバムで個人的に最も響いた曲はDisc1の1曲目「忘れられないの」だ。80年代色バリバリなMVも素敵だが、サカナクションがここまで直接的に80年代シティポップな曲を作るとは思っていなかった。ここ数年、日本のシティポップが世界的に再評価されて一種のブームになっているのは事実だし、自身のクラブイベントを主催しているサカナクションはもちろんその動きも察知していたとは思う。

2013年の狂騒を経てサカナクションはJ-POPシーンのトップランナー争いからは下りた(今現在そこにいるのは星野源だと思う)。自分たちの信じる方向に舵を切ることを決めたのである。その結果、ビビッドに世界の音楽シーン、クラブシーンに反応した曲ができた。こうした80年代テイストの曲をこれからも作り続けるということではないと思う。その時その時で自分たちのやりたい音楽、やるべき音楽を信じて作り続けるという意思表示が「忘れられないの」なのだと思う。

ファンとしては次は6年も待たせないでほしいという思いもあるけれど、逆に言えばもうアルバムという形態に固執する必要もないのかもしれないとも思う。信じる道を行ってくれればいい。ファンはそれを楽しみにしている。

どんなに遠くに行ったと思っても、結局はたかだか834.194㎞の間なのだ。