無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

ロックは物語を綴る。

American Idiot

American Idiot

 このアルバムで描かれているストーリーは彼らの青春、そしてこれまで辿ってきたキャリアを総括したかのような内容だが、聞いた人間誰しもが共感できる普遍性がある。みな青春時代というものを経験し、成長し大人になる過程で多かれ少なかれいろいろなものを手にし、そして失っていくものだからだ。これらのストーリーをグリーン・デイは「パンク・オペラ」として、アルバムトータルが1曲とも言えるような壮大な形で表現している。アルバムの中心は9分以上の組曲であるが、小難しいコンセプトなどはなく、今までのグリーン・デイをさらにブラッシュアップしたサウンドが物語を紡ぐ。つまり、彼らの真骨頂であるわかりやすく誰もが歌えるメロディー、否が応にも盛り上がるビートとギターリフである。サウンドもストーリーもグリーン・デイというバンドが15年のキャリアを迎えたからこそ作り上げることのできた結晶ともいうべきものだ。
 1人の少年(ジーザス・オブ・サバービア)がロックと出会い、その万能感を自らの力と思い込み、つまらない町から飛び出してロックスターを夢見る。夢が現実のものとなり、状況が変化するともう1人の人格「セイント・ジミー」が彼の生活を支配し始める。ジミーは奔放で、刹那的であり享楽的な男だ。欲望のままに酒や女を楽しみ、クスリに手を出し、自堕落な生活の中で自らを見失う。気がつけば周りには誰もいなくなり、全ては水泡に帰し、行くあてのなくなった少年はかつて飛び出した町へと帰る。夢破れ故郷に戻った主人公がたった一つ持っていたものは狂騒の中で出会った名も知らぬ女への想いだけだった―。
 なんと情けなく、カッコ悪く、切ない物語だろう。しかし、それが世の中の大多数の人間が辿る青春の末路である。夢が無いと言ってしまえばそれまでだが、ロックという音楽がそれを愛する者たちのためにここまできっちりと落とし前をつけたことがいまだかつてあっただろうか。これほど誠実で真摯なロックを前にして感動するなという方が無理。グリーン・デイというバンドにとっても、彼らが象徴するいわゆる「ポップ・パンク」と呼ばれるような音楽形態にとっても、そしてロックにとっても後々振り返って非常に重要な意味を持つアルバムになると思う。
 僕がロックを、というか音楽を聞くときに感じたいと思うもの、求めるものは結局ストーリーである。本作のように本当に意味での物語がそこにある場合もあれば、音符と音符の繋がりだけで世界の広がりやストーリーを感じさせてくれるものもある。演奏する人間の実生活が音楽と結びついて物語を形成することもあるだろう。ロックというのは1人の人間の半径5mにある物語が世の中の人間全ての物語と同化していくというダイナミズムを持つ音楽である。本作はその一つの証明であると思う。僕はほとんど小説というものを読まない。その替わり音楽を聞く。ロックを聞く。手にして以来、このアルバムを貪るように聞いている。