無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

奇形のロック。王道のプログレ。

Frances the Mute

Frances the Mute

 『de-laused in the comatorium』から約2年を経たマーズ・ヴォルタの新作。前作でも異才を放っていた緻密な曲構成とプログレ志向性は今作でさらに突き詰められている。76分で全5曲。ほとんどは10分以上の大曲であり、組曲形式になっているものも多い。終曲の「カッサンドラ・ジェミナイ」に至っては32分というとてつもないものだ。こんな構成のアルバムをメジャーロックシーンでドロップするバンド、今では皆無と言っていいだろう。一言で言えば、狂っている。頭おかしい。こらえ難いほどロック。またしても傑作。
 前作と違い、スリーブにきちんと歌詞が記載されているのだけど、その内容はやはり難解でありすんなりと意味が伝わるものではない。「子宮」「胎児」「血」といった生々しい単語が出てくるが、全体的に暗く、おどろおどろしいムードが漂っている。敢えて大雑把にテーマを予想すると、「生まれてくるべきではなかった子」あるいは「生まれるべきだった子」、その血塗られた運命に対する怒りと絶望、孤独というものだろうか。英語とスペイン語が当然のように混ざり合っているが、サルサっぽいパートが英語で、ハードロックっぽいパートがスペイン語だったりする辺りは明らかに意図的なものだろう。恐らくは非常に個人的なテーマ、思想に基づくものであると思う(歌詞そのものはオマーではなくセドリックによるものだが)。それと同時に、その裏に政治的な怒り(憤りと言ってもいいか)をも感じる。アルバムカバーにもそんな印象を受ける。往年のヒプノシスのような写真だな、と思ったらアートディレクションはまさにストーム・トーガソンその人が手がけているのだった。プログレファンにはたまりませんね。
 複雑なフレーズやリズムパターンが交錯する圧倒的にオリジナルなサウンドは、各メンバーが順番もバラバラに録音したトラックをオマーが後からほとんど1人で編集したものだと言う。確かに、こんな構成の曲を全員せーので録音することは困難の極みだろう(ライヴではどうなるのだろうか)。とは言え、ここで聞かれるメンバー各々のプレイヤビリティは壮絶の一語である。特に前作同様、ドラムのジョン・セオドアのプレイは背筋が凍るほどの戦慄。彼らでなくてはオマー・ロドリゲス・ロペスという人の頭の中にある音を再現することは不可能であるだろう。テーマとしても音楽としてもほとんどはオマーという人の中にあるものかもしれないが、これはれっきとした「バンド」のアルバムなのである。それが非常に感動的だし、作品そのものに説得力と重みを与えていると思う。
 彼らの音楽の作り方は映像を撮る感覚に近いのではないだろうか。それもテレビドラマではなく、映画である。音楽で言うならポップミュージックではなく、もはやこれはオーケストラである。一部分を切り取ってもその全体像を掴むことはできず、物語を追いかけるには最初から最後まで向き合わねばならない。その全体像も抽象的であり、聞き手がそれぞれ想像力を駆使してその核心を見ようとしなければならない。狂気と紙一重の非常に高いインテリジェンスを持ったロックだと思うし、当然その分敷居は高い。しかしこれがアルバムチャートで上位に入っているという事実は驚異であると思う。