無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

ロックのためにその1。

ワルツを踊れ Tanz Walzer

ワルツを踊れ Tanz Walzer

 このアルバムが出てからずいぶん時間が経ってしまったけど、判で押したように大絶賛の雑誌などを見るよりも、ブログの感想を見ている方が面白かった。どうも、ロックファンの皆さんからは今回のくるりのクラシックへのアプローチは、アレルギー的な拒絶反応をもって迎えられているケースも多いようだ。まあ、クラシックという音楽の持つかしこまったイメージは一般にロックとは対極にあるものと思われているだろうから、致し方ないのだとは思う。けれども、実際このアルバムが全編クラシック的味付けで出来上がっているかというとそんなことはなく、ストリングスやオーケストラの導入なども、ロックアルバムの平均から見ても特別多いというわけでもないと思う。岸田繁のクラシックへのアプローチは、表面的な音の感触というものではなく、音楽の根源にある考え方そのものへの揺さぶりだったのだと思う。岸田は今作から楽譜を書いて作曲したというが、それも一例だろう。クラシックは楽譜の段階で音楽が完成していて、それを演者がどう解釈して演奏するか、というところで評価が分かれる。岸田は、自分の作る音楽をどのようにして普遍的なものとして昇華できるのかということを考えていたのではないだろうか。ロックとして、とか、くるりとして、とかそういう前置詞とは関係なく、誰が聞いても誰が演奏してもいい曲はいい曲だというそんな普遍的な音楽。今作でくるりが目指したのはそんなシンプルな、しかしとてつもなく高いハードルではなかったのではないかと思う。もっと言えば、岸田は自分が興奮して聞いてきたロックとクラシックというものを基本的に区別していないのではないだろうか。彼の中ではレッド・ツェッペリンモーツァルトも並列なものとして鳴っているのではないかと思う。
 僕が最も感動したのはシングルの「ジュビリー」ではなく、「ブレーメン」という曲。この曲は、普遍的なメロディーと、寓話的な詩の世界と、流麗かつ刺激的なアレンジと、まさに完璧と言っていい完成度を誇っていると思う。これまでのくるりの曲の中でも群を抜いて素晴らしい曲だと思う。この曲をはじめ、前半は素晴らしい流れで来ているのだけど、後半はややダレ気味になってしまったのが残念だ。ヨーロッパの民族音楽的なアレンジの曲も面白いが、ロック的でスリリングな摩擦をアルバムにもたらすには至っていない気がした。数年後にこのアルバムがくるりの最高傑作として認識されるかといえば、僕は違うのではないかと思う。ここを通過して、さらにくるりが純度の高いロックとしての傑作をものにするためのスタートラインになるようなアルバムだと思う。