無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

Utada、卍解。

This Is The One

This Is The One

 「utada」としては4年半ぶりとなる洋楽版Hikkiの2作目。宇多田ヒカルとしての前作『HEART STATION』と同時進行で作業は進められていたらしい。プログラミングもほぼ全て自分の手で行った『EXODUS』とは異なり、今回はNE-YOやビヨンセなどとの仕事で知られるスターゲイトや、ブリトニー・スピアーズなどを手がけたトリッキー・スチュアートがプロデュースとトラックメイキングを担当している。それはつまりサウンド作りの大半を他人の手に委ねているということで、ここ数作の彼女のアルバムとは全く異なるプロセスで製作されたということになる。サウンド自体は硬軟入り混じったコンテンポラリーなアメリカのR&Bに沿ったもの。アメリカでも前作よりいいチャートアクションだったと言うが、それも納得の内容である。
 自分にかかる負担が減ったからなのか、ここでの宇多田ヒカルは非常にリラックスしている。日本語よりも英語の方が彼女の素の感情があらわになるという意味では前作も同様だったが、歌詞の明快さは比較にならないほどだ。サウンドが他人の手によるものである分、曲そのものや歌唱においては自分自身の色を前に出さないと拮抗できないということもあったのだろうか。これほど「宇多田ヒカル」という人の姿がはっきり見えるアルバムは正直、「宇多田ヒカル」名義のものにはなかったと思う。
 そんなことはないだろう、今までだって宇多田ヒカルは曲の中で自分のことを歌ってきたじゃないかという意見もあるだろうが、彼女の曲の中にあるストーリーや一人称は聞いた人間全てが自分自身のものとして投影できる種類のものであって、彼女自身のものではないのだ。それはつまりポップであるということであり、だからこそあれだけのセールスを記録できたのだと思う。しかしここにきて英語ではあるが彼女はきっちりと自分のことを歌い始めている。僕自身は未読だが最近出版した自伝でもかなり赤裸々に深いところまで書いているらしい。結婚と離婚を経て、彼女の中で何か大きな変化があったのだろうか。できるならば英語ではなく、次は日本語で自分自身のことを歌ってもらいたい。しかし問題は、日本で彼女の満足するサウンドを作れるトラックメイカーがいるか、ということになるのかもしれない。