無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

ソングライターのプライド。

月と専制君主(CD+DVD)

月と専制君主(CD+DVD)

 佐野元春のデビュー30周年企画の一環として制作されたセルフ・カバー・アルバム。とは言え、一般的なそれとは若干コンセプトを異にしている。通常こうしたセルフ・カバー・アルバムを作る場合、ヒット曲や代表曲を中心に据えるものだが、本作の選曲はそうではない。本作中、代表曲と言えるものは「ヤングブラッズ」くらいで、シングルとして見ても他には「シーズン・イン・ザ・サン(夏草の誘い)」だけである。他はアルバム収録曲で、正直地味なセレクトと言ってしまっていいと思う。ヒット曲が聞きたい人は新たに出たオールタイム・ベスト盤『ソウル・ボーイへの伝言』をどうぞ、ということなのかもしれない。
 選曲について元春は「2010年現在でも、僕にとってリアリティのある曲を選びました。また、ソングライターとしての自分を前面に出せる曲を選びました。」と語っている(公式ファンサイトより引用)。自分の歩んできた30年間をソングライティングの観点から見つめ直し、2010年においてまだリアリティのあるもの。つまり、新しい音で、現在の彼の声で歌われて違和感のないもの。むしろ、歌われるべきもの。を選んだということなのだろう。NHKで放送された「ザ・ソンングライターズ」での、様々な現代のソングライターたちとの交流やそこから受け取った刺激が本作の選曲基準や動機に繋がっているとも想像できる。
 アレンジは基本的にアコースティックなサウンドが中心で、言葉が常にその中心に来るように練られている。テンポを落とし、ラテン〜ボサノヴァ的に生まれ変わった「ヤングブラッズ」など、原曲の溌剌とした感覚とは違う、成熟した大人の印象を強く感じさせる。「ジュジュ」や「君がいなければ」に代表されるように、ここに選ばれた曲の多くは「不在」をテーマにしている。「現在においてリアリティのあるもの」としてこうした曲が選ばれたということは、30年間彼が曲の中で歌ってきた「不在」であるものが、今においてもなお不在のままであるということなのだろう。「不在であるもの」を求め続ける心。それこそが、いつの時代においても佐野元春を突き動かし、常に新しい道を切り拓くイノベイターたらしめてきたものなのかもしれない、とふと思った。先日終了した30周年アニバーサリー・ツアーを見た人なら、この30周年に対し佐野元春が回顧的に受け止めていないことを十分に理解したと思う。本作ももちろん、そういうものになっている。佐野元春という人の表現の本質に迫るものであり、同時代性を強く意識させる音になっていると思う。
 ザ・ホーボー・キング・バンドとザ・ハートランドという、彼のキャリアを支え続けたメンバーによる演奏はオーガニックであり緊張感を失わず、かつ互いのプレイヤビリティを尊重している。単なる企画盤として片付けるにはあまりにも贅沢な1枚。