無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

生が一番気持ちいい。

 オリジナル・フル・アルバムとしては2010年5月にリリースされた『FANKASTiC』以来となる10作目。この間にスガシカオはそれまで所属していたオフィス・オーガスタから独立し、完全にインディペンデントな自主アーティストとして活動を行っていた。独立しメジャーから離れた理由について彼は「メジャーのパッケージ感がすごく嫌だったんですよ。自分が心血注いで作った曲って、生々しい形で人に伝わってほしいんですけど、(中略)商品になって僕のところに戻ってくる頃には、生々しさがなくなっちゃう感じがしたんですよね。」と語っている。(スガシカオが語る、事務所からの独立とメジャー復帰の真意 - インタビュー : CINRA.NET
 曲を作り、ダイレクトに聞き手に届ける。今の時代にはそれが可能だ。ツイッター上で曲を書いたりレコーディングしていることを発信し、その曲が完成したら1週間もせずにネットで配信される。この数年、インディーになったことでスガシカオの動きがファン以外の人には見えにくくなった面はあったと思うが、彼の楽曲の生々しさと活動におけるフットワークの軽さはその自由を謳歌しているように見えた。本人はもうメジャーに戻るつもりはなかったらしいが、SPEEDSTAR RECORDSの熱意と、今のやり方を踏襲すると言う言葉でメジャー復帰を決めたのだという。
 スガシカオがインディー時代にリリースした音源だけでもかなりの数になる。それらを中心にアルバムにまとめる手もあったと思うが、そうしなかった。アルバムに繋がるのはメジャー復帰後のシングル「アストライド/LIFE」になるだろう。この曲で、本作のトータル・プロデュースを手がける小林武史と初めてタッグを組んでいる。小林の仕事は全体の方向付けで、サウンドプロデュースはスガシカオ自身がほぼ行っている。小林はインディー時代の曲は忘れて、アルバムの曲をイチから作ることを言ったらしい。当初は「アストライド」すらアルバムに収録しないと言われたようだが、スガ本人のどうしてもという意向でこの曲だけ収録されたようだ。インディー時代に手に入れた「生々しさ」をもっと純度高く抽出する。それがこのアルバムのひとつのテーマだったのではないだろうか。そのために、小林武史はソングライティングにおいてスガシカオを徹底的に追い込んだのだろう。手癖や小奇麗なごまかしの表現は必要ない。追い込んで追い込んで、最後に搾り出した言葉と音をパッケージしたかったに違いない。初回限定盤にはインディー時代に配信した楽曲をコンパイルした「THE BEST 2011-2015」がボーナス・ディスクとしてついている。こちらの音源も確かに素晴らしい。しかし、これをそのままアルバムにしても意味がない、と思ったのだろう。
 「いつもふるえていた アル中の父さんの手」という衝撃的なフレーズで始まる冒頭の「ふるえる手」は、最後に収められた「アストライド」と対を成す曲になっている。「何度だってやり直す」という決意と希望をスガシカオは再出発であり集大成とも言えるこのアルバムの最初と最後に配置した。他に収められた曲も、生々しさと直接性を持つ、ザラザラしたものばかりだ。サウンドも非常にエッジが効いたものになっていて、さわやかなBGMになるようなものではない。歌詞も音もどこかいびつで独自性の強いものだと思う。しかしスガシカオの声で歌われるとこれらの曲は不思議とポップな色合いを持つ。彼の声にはそういう力がある。いいにくいことやきわどい表現も、この声で歌われるとすんなり耳に入るというか。僕の好きなスガシカオはそういうアーティストだった。ミもフタもない人間の本質や業のようなものを暴いてみせる、そんな毒を持つ曲が好きだった。このアルバムにはそんなダイレクトな表現が詰まっている。ポップミュージックはポップであるからこそ毒を孕まなくてはいけない。メジャーから独立する際、スガシカオは「50歳までに集大成的なアルバムを作る」とコメントした。まさに、これがそのアルバムである。生々しく、ダイレクトで、毒があり、いびつだけど、ポップ。僕にとってのスガシカオはそういうアーティストだ。


スガ シカオ - 「真夜中の虹」 MUSIC VIDEO

天才は紫色。

プリンス論 (新潮新書)

プリンス論 (新潮新書)

 ノーナ・リーヴスのボーカリストであり、現在の音楽シーンの中でも随一の論客でもある西寺郷太氏が自身の音楽ルーツの重要なピースであるプリンスについて正面から論じた新書。同じく氏の音楽体験の原風景である1980年代を代表するプロジェクトであった「ウィー・アー・ザ・ワールド」について書いた「ウィー・アー・ザ・ワールドの呪い」に続く著書となる。
 黒人音楽だけでなくロック、ポップの歴史においても重要なレジェンドでありながら、現在でも第一線で創作活動を続ける天才であるプリンス。しかしプリンスの音楽的功績についてきちんと論じた本、特に日本人の著書は少ない。類稀なる多作家であるプリンスの音楽を一つ一つ取り上げるだけでも相当な量にならざるを得ない。本書は簡潔にプリンスの歴史を紐解き、彼の辿った人生、バックグラウンドからその時々の音楽シーンの趨勢まで、そして彼の音楽が与えた幅広い影響について多面的に検証している。著者独自の見解や推論も含まれるが、膨大な資料や見識家の意見に拠ったものなので説得力がある。これからプリンスの音楽に触れるビギナーにとっては格好のガイドとなるだろうし、同時にプリンスのファンにとっても、特に彼の活動が混迷し始めた90年代以降の動きを整理する意味で役に立つものになるはずだ。
 西寺氏(1973年生)と僕(1972年生)は同世代。多感な十代の時期にプリンスという天才の音楽に魅せられた点でも共通している。ビートルズに間に合わなかった世代にとってプリンスという天才がいかに大きな存在であるのか、本書からは見えてくると思う。

エクストリームな輝き。

ア・ヘッド・フル・オブ・ドリームズ

ア・ヘッド・フル・オブ・ドリームズ

 前作『Ghost Stories』わずか1年半というスパンでリリースされた新作。前作は非常にミニマルで陰鬱な印象のアルバムだった。ただ、音楽的には非常に緊張感と統一感のあるアルバムで、ある意味コンセプト・アルバムという趣のものだったと言えるかもしれない。その暗さはおそらくはクリス・マーティンのプライベートな事情によるところが大きかったと思うのだけど、そのアルバムの中でも唯一煌くようなアンセムとして鳴っていた「A Sky Full of Stars」が異質なまでに印象的だった。そして本作はその「A Sky~」から繋がるように、全編がアッパーで光り輝く陽性のアルバムとなっている。
 彼らは前作リリース後ツアーに出ることなく、すぐに本作のレコーディングに入ったらしい。陰と陽、2枚でひとつの作品であるかのように、前作と本作は対を成す構造になっている。前作の陰鬱さからサイケデリックとも言える極彩色の世界へという、極端から極端に触れ切ったサウンド。ここまでやらなければバランスが取れなかったのだろうか。逆説的に、前作の闇の深さが本作から見えてくる。彼らのキャリアの中でも最もアッパーなアルバムだとは思うけれど、この極端さには狂気に近いものすら感じる。それゆえにポップでありながら、非常に生々しいものになっていると思う。
 現時点でコールドプレイは世界で最も巨大なポップ・バンドのひとつであることは間違いない。それは、音楽性やわかりやすいメロディーによるものだけではない。個人の感情から発した音楽が世界中に広がり、万華鏡のように聞く者の心を彩るダイナミズムを持っているからだ。これこそがポップ・ミュージックの本質だと僕は思う。

Coldplay - Adventure Of A Lifetime (Official video)

アダルト・オリエンテッド・テクノ・ポップ。

META

META

 高橋幸宏LEO今井テイ・トウワ権藤知彦、まりん、小山田圭吾というメンバーで結成されたMETAFIVEのファーストアルバム。改めて見ると、すごいメンバーだと思う。レコーディングはデータのやり取りで行い、各自持ち寄った曲をそれぞれがアレンジしたり音を入れたりして進めていったらしい。各メンバーが最終的に2曲ずつ責任持って仕上げるという形で、全12曲が収録されている。
 テイ・トウワのソロアルバムに収録された「Radio」の別ヴァージョンや、小山田圭吾がサウンドトラックを手がけた「攻殻機動隊ARISE」で使用された「Split Spirit」(この時は高橋幸宏×METAFIVE名義)と既出の曲もあるが、その他の新曲と比較するとこのバンドがどう発展・進化して行ったのか透けて見えるようで興味深い。サウンドは非常にソリッドでエッジの効いたダンスミュージックがベース。シンセをフィーチャーしたポップな味付けやメロウなミドルテンポの曲もあるが、基本的には1曲目「Don't Move」に象徴されるように非常にアッパーでアクティブな音だと思う。「新人バンド」のデビュー作としてはこのくらい勢いがあった方がいい。「Luv U Tokio」ではYMOのサンプリングもあったりして、遊び心も忘れない。
 これだけのメンバーが揃っていながらこのアルバムには所謂スーバーバンドにありがちなエゴのぶつかりや縄張り争いが見えない。ボーカルはLEO今井高橋幸宏が曲によって分担している。小山田圭吾YMOでのライブのようにほぼギタリストに徹している。各々が自分の持ち場でやるべきことをやり、他のメンバーの持ち味を尊重して引くべき所は引いているという印象。作詞についてはLEO今井が中心になっているが、それも得意な人間に任せたと言う感じなのだろう。全員がミュージシャンとして独立した人たちなので、自分の好きにやりたいことは自分主体の場所でやればいいという思いがあるのだと思う。すごく大人なバンドだと思う。それなのにサウンドが非常にスリリングで刺激的なものになっている。ニューウェーブを通過したコンテンポラリーなテクノ・ダンス・ポップ。非常に都会的でカッコイイ。元々一夜限りのユニットと考えてスタートしたプロジェクトがこうしてアルバムリリースにまで至ったと言うことは、各メンバーがこのバンドで音楽を作る意義を認めているということだろう。断続的にでもいいので、継続してほしい。


METAFIVE - Don’t Move -Studio Live Version-


METAFIVE - Luv U Tokio -Video Edit-

青春の再定義。

幸福

幸福

 2004年の『Me-imi』以来11年半。ついに、岡村靖幸のオリジナルニューアルバムがリリースされた。2011年に活動を再開して以降毎年のようにツアーを行い、2013年の「ビバナミダ」から安定してシングルをリリースしてきてアルバムは時間の問題と思っていたけれど、こうして実際に手にしてみると感動もひとしおだ。
 『Me-imi』の感想とダブる部分もあるが、岡村靖幸の創作活動がなぜ90年以降滞ってきたのか、僕なりの考えを書いてみる。岡村靖幸の曲に登場する男子女子は、どんなにエッチなことを妄想していても、純粋に青春しているというイメージがある。セクシャルな歌詞は、それによって何かしらの性的衝動を開放するというものではなく、なぜその登場人物が欲望を満たそうとする行動に出るのか、ということを描き出すためのツールとして用いられているものだった。その根底には中年と不倫してたり、ブルセラで着を売る女子高生も、心の奥底はみんなピュアできれいな人間なんだ、というある種の幻想に支えられていた部分があると思う。ところが90年代に入って、ブルセラだ援交だ出会い系だと性犯罪対称の低年齢化とともに、性行為のモラルがブレイクダウンしていくと、彼のそのピュア幻想のようなものがガラガラと崩れてしまったのではないだろうか。彼の作品が世に出なくなってしまったのは、音楽的に煮詰まっているのではなく、その歌詞に投影すべき青春のイメージが見えなくなってしまったのではないか。というのが、僕の推測である。
 実際、復活後最初に発表された新曲「ビバナミダ」と「愛はおしゃれじゃない」では、作詞はそれぞれ西寺郷太、小出裕介との共作となっている。ファンを公言する二人との共作によって従来のイメージ通りの岡村ちゃんワールドを実現できたことが、いい助走になったのではないだろうか。以降のシングル、そして本作に収録された新曲は全て岡村靖幸のみの作詞クレジットとなっている。そのテーマは何だろうと言うと、実はやはりピュアな青春なのだと思う。しかしその一人称は若者ではなく、年を取り様々な経験を経てきた大人なのだ。
 アルバムは雨音のSEから始まる。決して派手ではない、R&Bテイストのゆったりしたリズムを持つ1曲目「できるだけ純粋でいたい」では、世界の不条理に負けそうな中で「君」を求める想いが歌われる。4曲目「揺れるお年頃」は惨めで凹んだ時でも気分次第でなんとかなる、と彼は言う。無根拠なポジティブさではなく、大人が悩める若者をやさしく諭すように描かれるのは今までの岡村ちゃんにはあまりなかった視点だと思う。2曲目「新時代思想」は昨年のツアーからライブで歌われている曲だが、絡まった心に勝つために必要なのは新時代思想だ、そしてそれは君次第だ、と歌われている。君というのは悩める若者であり、彼と同時代を過ごしてきたミドルエイジでもある。年をとろうが時代や社会に負けようが、汚れた人生を歩もうが、今この時を青春として輝かせるのは君次第なんだぜ、その思い自体はピュアでいられるんだぜ、と僕は岡村ちゃんに力強く肩を叩かれた気がするのだ。こうしたメッセージが強く響くのは、誰よりも岡村靖幸本人がその輝きを取り戻したからなのだと思う。言うなれば、青春の再定義。実際「ラブメッセージ」などは、80年代の曲以上にキラキラとしたラブソングになっているじゃないか。テーマが明確になった時の岡村靖幸の作詞家としての才能はやはりすごい。曲のタイトルもそうだし、どこを切り取っても太字にしたくなるようなキラーフレーズにあふれている。
 いくつかのクレジット以外、殆どの演奏を彼自身が行うマルチぶりは相変わらず。シングルの再収録が半数以上を占める中アルバムとしてトータルにまとまり聞きやすくなっているのはライヴでもバンマスを努めるエンジニアの白石元久氏の存在が大きいと思う。数多くのライブを経て白石氏との共同作業も熟成してきたのだろう。セルフカバーアルバム『エチケット』でリブートした岡村ちゃんサウンドは本作でひとつの集大成を見たと言っていいと思う。事ほど左様にサウンドは充実し、歌詞の面でも青春の輝きを取り戻し、それを老若男女問わずメッセージとして強く発信するに至った今の岡村靖幸。僕は昨年のツアーの感想で「岡村ちゃんは今が最高だ」と書いたが、それをアルバムとしても証明する傑作になっていると思う。しばらくの間は何度もリピートして聞くことになるだろう。それこそが何にも変えられない「幸福」なのだ。


「ラブメッセージ」PV