無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

くだらないの中に。

電気グルーヴ ライヴ「お母さん、僕たち映画になったよ。」
■2016/03/04@Zepp Namba

 電気グルーヴのドキュメンタリー映画『DENKI GROOVE THE MOVIE?』は、電気の2人は全く出演せず(過去の映像資料のみ)、過去の当事者や周囲の人々からの意見を集約し客観的に「電気グルーヴとは何なのか?」を検証するものだった。今回のツアーはタイトル通り、25周年を迎え、映画になった彼らがちょっと自分たちへのご褒美と感謝の気持ちとして企画されたようなものだと思う。しかしそれが、思った以上に今の電気グルーヴを見せるものになっていたのはさすがという感じ。
 「コンニチハ、デンキグルーヴデス」という音声からライヴは始まる。サポートDJはagraphこと牛尾憲輔。映画のサントラに近い流れのようでいて、定番やレア曲も周到に織り交ぜていくのがニクイ。「Shameful」から「新幹線」のバキバキな流れは序盤のハイライトだったと思う。『The Last Supper』でのバージョンを基にした「スコーピオン」のカッコよさは異常だった。この曲、ファンの間では賛否の分かれる『ORANGE』に収録されていたからかもしれないけど、過小評価されてる気がする。「あすなろサンシャイン」の神々しさ(いかがわしさ)はまさに瀧の独壇場。久々に聞いた「カメライフ」でも、卓球はステージの端から端まで元気に動く。DJ卓とステージ前方を激しく行き来するので、実は普通にライブするバンドよりも運動量高いのじゃないだろうか。48歳、元気です。卓球のソロからの「Love Domination」もちょっと驚き。サウンドはもちろん、VJでもスクリーンいっぱいに「SEX」の文字が大写しになる羞恥プレイ。カッコいい曲ながら、キチガイおじさんたちの悪趣味さが如実に表れていたと思う。
 いいアーティストというのは、若い時に作った曲をいつまでも歌い続けていられるものだと思う。それはつまり、一貫したものが流れているということに繋がるからだ。おっさんになっても彼らにとっての(というか卓球にとっての)青春の1ページである「N.O.」を歌えるのはカッコいいと思う。彼らのような一見ふざけてばかりいるような人たちはこういう曲を「若気の至り」と否定しがちな気もするが、電気はそうではない。これが、僕が彼らを好きな理由のひとつでもある。本編ラストの「カッコいいジャンパー」まで、実に90分一本勝負。MCなしで一気に走り抜けたのだった。しびれるような、男気を感じるライヴだった。
 アンコールで登場した2人は鬱憤ばらしのようにくだらない喋りを続ける。個人的に一番ツボだったのは卓球が今はなきお笑いコンビ「さくらんぼブービー」のネタ「鍛治君じゃない?」を言い放ったところ。会場のウケはイマイチでしたが僕は爆笑でした。3月末に発売になる映画と、ツアー「塗糞祭」DVD/Blu-rayを一応宣伝し、アンコールは「ポポ」。瀧が全く高音出てなかったのには若干年を感じたけど、こうやってバカなおじさん達が元気に場かやっているのを見られるのはいいものです。彼らに限らず、アラフィフのアーティストが普通にゴロゴロいて、今も元気に現役で音源を出し、ライヴし、フェスにも出ている。そういうのを見ると、歳を取るのも悪いものじゃないなと思うのです。

■SET LIST
・ハローミスターモンキーマジックオーケストラ
・Fallin' Down
・Missing Beatz
・Shameful
・新幹線
・愛のクライネメロディー
・Baby's on Fire
スコーピオン2001
・BARON DANCE
あすなろサンシャイン
・カメライフ
・TKOテクノクイーン
・Love Domination
・Flashback Disco
ジャンボタニシ
・N.O.
・かっこいいジャンパー
<アンコール>
・ポポ

「人間なめんな」の傑作SF。

■オデッセイ
■監督:リドリー・スコット ■出演:マット・デイモンジェシカ・チャスティン、ジェフ・ダニエルズ

ソングス・フロム・オデッセイ

ソングス・フロム・オデッセイ

 アンディ・ウィアーのベストセラーSF小説『火星の人』をリドリー・スコット監督が映画化。探査中の事故で火星に取り残された宇宙飛行士が、孤独なサバイバルを繰り広げる一方で、それに気付いたNASAが決死の救出ミッションに挑む。
 絶望的な状況を頭脳とスキルで乗り越え、火星からの生還を目指すサバイバルものだけど、悲壮感が全くない。常にユーモアを忘れず、パニックにもならず、淡々と目の前の状況に対して対策を考え実行する主人公の姿に引き込まれる。主人公も、地球で対策を考えるNASAの面々も、皆やるべきことをきちんと考え、それぞれの立場で最善を尽くす。主人公が窮地に陥る原因が災害とか不運とかどうしようもないことであって、「誰かバカな奴の自分勝手な行動」じゃないのですよ。だから見ていてとても気持ちがいい。いろんな人がすでに指摘してるけど、本作で中国の技術局が出てくるのはハリウッドの中国進出によるマーケティング戦略ではなくて中国のロケット技術が高いからなんですよね。70年代のディスコミュージックが全編を彩っていて、その曲の内容がその時々のシーンとリンクするようになっている。最近では『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』でもあったやり方だけど、こういう手法はまた流行ってきそうですね。本作のラストでオージェイズの「ラブ・トレイン」が流れるのがとてもいい。「世界中の皆、手に手を取ってラブ・トレインを走らせよう」「次の停車駅はもうすぐさ ロシアや中国の人にも伝えよう」「この列車に乗る時が来たんだ この列車をずっと走らせ続けよう」。アメリカと中国が協力し、一人の宇宙飛行士を救出するのを世界中が注目する。そんな映画のラストに流れるのがこの曲ですよ。感動するしかないでしょう。
 「人間なめんな」って思うし、元気もらえる映画でした。『ゼロ・グラビティ』『インターステラー』そしてこの『オデッセイ』と、宇宙のロマンと人間の素晴らしさを描く傑作が最近毎年作られてるのはいいことだと思います。


The O'Jays Love Train

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

火星の人〔新版〕(下) (ハヤカワ文庫SF)

火星の人〔新版〕(下) (ハヤカワ文庫SF)

生が一番気持ちいい。

 オリジナル・フル・アルバムとしては2010年5月にリリースされた『FANKASTiC』以来となる10作目。この間にスガシカオはそれまで所属していたオフィス・オーガスタから独立し、完全にインディペンデントな自主アーティストとして活動を行っていた。独立しメジャーから離れた理由について彼は「メジャーのパッケージ感がすごく嫌だったんですよ。自分が心血注いで作った曲って、生々しい形で人に伝わってほしいんですけど、(中略)商品になって僕のところに戻ってくる頃には、生々しさがなくなっちゃう感じがしたんですよね。」と語っている。(スガシカオが語る、事務所からの独立とメジャー復帰の真意 - インタビュー : CINRA.NET
 曲を作り、ダイレクトに聞き手に届ける。今の時代にはそれが可能だ。ツイッター上で曲を書いたりレコーディングしていることを発信し、その曲が完成したら1週間もせずにネットで配信される。この数年、インディーになったことでスガシカオの動きがファン以外の人には見えにくくなった面はあったと思うが、彼の楽曲の生々しさと活動におけるフットワークの軽さはその自由を謳歌しているように見えた。本人はもうメジャーに戻るつもりはなかったらしいが、SPEEDSTAR RECORDSの熱意と、今のやり方を踏襲すると言う言葉でメジャー復帰を決めたのだという。
 スガシカオがインディー時代にリリースした音源だけでもかなりの数になる。それらを中心にアルバムにまとめる手もあったと思うが、そうしなかった。アルバムに繋がるのはメジャー復帰後のシングル「アストライド/LIFE」になるだろう。この曲で、本作のトータル・プロデュースを手がける小林武史と初めてタッグを組んでいる。小林の仕事は全体の方向付けで、サウンドプロデュースはスガシカオ自身がほぼ行っている。小林はインディー時代の曲は忘れて、アルバムの曲をイチから作ることを言ったらしい。当初は「アストライド」すらアルバムに収録しないと言われたようだが、スガ本人のどうしてもという意向でこの曲だけ収録されたようだ。インディー時代に手に入れた「生々しさ」をもっと純度高く抽出する。それがこのアルバムのひとつのテーマだったのではないだろうか。そのために、小林武史はソングライティングにおいてスガシカオを徹底的に追い込んだのだろう。手癖や小奇麗なごまかしの表現は必要ない。追い込んで追い込んで、最後に搾り出した言葉と音をパッケージしたかったに違いない。初回限定盤にはインディー時代に配信した楽曲をコンパイルした「THE BEST 2011-2015」がボーナス・ディスクとしてついている。こちらの音源も確かに素晴らしい。しかし、これをそのままアルバムにしても意味がない、と思ったのだろう。
 「いつもふるえていた アル中の父さんの手」という衝撃的なフレーズで始まる冒頭の「ふるえる手」は、最後に収められた「アストライド」と対を成す曲になっている。「何度だってやり直す」という決意と希望をスガシカオは再出発であり集大成とも言えるこのアルバムの最初と最後に配置した。他に収められた曲も、生々しさと直接性を持つ、ザラザラしたものばかりだ。サウンドも非常にエッジが効いたものになっていて、さわやかなBGMになるようなものではない。歌詞も音もどこかいびつで独自性の強いものだと思う。しかしスガシカオの声で歌われるとこれらの曲は不思議とポップな色合いを持つ。彼の声にはそういう力がある。いいにくいことやきわどい表現も、この声で歌われるとすんなり耳に入るというか。僕の好きなスガシカオはそういうアーティストだった。ミもフタもない人間の本質や業のようなものを暴いてみせる、そんな毒を持つ曲が好きだった。このアルバムにはそんなダイレクトな表現が詰まっている。ポップミュージックはポップであるからこそ毒を孕まなくてはいけない。メジャーから独立する際、スガシカオは「50歳までに集大成的なアルバムを作る」とコメントした。まさに、これがそのアルバムである。生々しく、ダイレクトで、毒があり、いびつだけど、ポップ。僕にとってのスガシカオはそういうアーティストだ。


スガ シカオ - 「真夜中の虹」 MUSIC VIDEO

天才は紫色。

プリンス論 (新潮新書)

プリンス論 (新潮新書)

 ノーナ・リーヴスのボーカリストであり、現在の音楽シーンの中でも随一の論客でもある西寺郷太氏が自身の音楽ルーツの重要なピースであるプリンスについて正面から論じた新書。同じく氏の音楽体験の原風景である1980年代を代表するプロジェクトであった「ウィー・アー・ザ・ワールド」について書いた「ウィー・アー・ザ・ワールドの呪い」に続く著書となる。
 黒人音楽だけでなくロック、ポップの歴史においても重要なレジェンドでありながら、現在でも第一線で創作活動を続ける天才であるプリンス。しかしプリンスの音楽的功績についてきちんと論じた本、特に日本人の著書は少ない。類稀なる多作家であるプリンスの音楽を一つ一つ取り上げるだけでも相当な量にならざるを得ない。本書は簡潔にプリンスの歴史を紐解き、彼の辿った人生、バックグラウンドからその時々の音楽シーンの趨勢まで、そして彼の音楽が与えた幅広い影響について多面的に検証している。著者独自の見解や推論も含まれるが、膨大な資料や見識家の意見に拠ったものなので説得力がある。これからプリンスの音楽に触れるビギナーにとっては格好のガイドとなるだろうし、同時にプリンスのファンにとっても、特に彼の活動が混迷し始めた90年代以降の動きを整理する意味で役に立つものになるはずだ。
 西寺氏(1973年生)と僕(1972年生)は同世代。多感な十代の時期にプリンスという天才の音楽に魅せられた点でも共通している。ビートルズに間に合わなかった世代にとってプリンスという天才がいかに大きな存在であるのか、本書からは見えてくると思う。

エクストリームな輝き。

ア・ヘッド・フル・オブ・ドリームズ

ア・ヘッド・フル・オブ・ドリームズ

 前作『Ghost Stories』わずか1年半というスパンでリリースされた新作。前作は非常にミニマルで陰鬱な印象のアルバムだった。ただ、音楽的には非常に緊張感と統一感のあるアルバムで、ある意味コンセプト・アルバムという趣のものだったと言えるかもしれない。その暗さはおそらくはクリス・マーティンのプライベートな事情によるところが大きかったと思うのだけど、そのアルバムの中でも唯一煌くようなアンセムとして鳴っていた「A Sky Full of Stars」が異質なまでに印象的だった。そして本作はその「A Sky~」から繋がるように、全編がアッパーで光り輝く陽性のアルバムとなっている。
 彼らは前作リリース後ツアーに出ることなく、すぐに本作のレコーディングに入ったらしい。陰と陽、2枚でひとつの作品であるかのように、前作と本作は対を成す構造になっている。前作の陰鬱さからサイケデリックとも言える極彩色の世界へという、極端から極端に触れ切ったサウンド。ここまでやらなければバランスが取れなかったのだろうか。逆説的に、前作の闇の深さが本作から見えてくる。彼らのキャリアの中でも最もアッパーなアルバムだとは思うけれど、この極端さには狂気に近いものすら感じる。それゆえにポップでありながら、非常に生々しいものになっていると思う。
 現時点でコールドプレイは世界で最も巨大なポップ・バンドのひとつであることは間違いない。それは、音楽性やわかりやすいメロディーによるものだけではない。個人の感情から発した音楽が世界中に広がり、万華鏡のように聞く者の心を彩るダイナミズムを持っているからだ。これこそがポップ・ミュージックの本質だと僕は思う。

Coldplay - Adventure Of A Lifetime (Official video)