無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

Fold Your Hands Child You Walk Like A Peasant

Fold Your Hands Child You Walk Like A Peasant

 最近、「癒し系」という言葉にとてつもなく違和感を感じる自分に気づいた。なんとなく、引っかかってはいたのだが、最近気づいた。嫌いなのだ。たれぱんだは別に興味ないし、「癒し系美女」なんて特に顔もよくない、胸もでかくないグラビアモデルを前面に出すための煽り文句でしかないんじゃないかとすら思う。まあそんなことはどうでもいいや。自分で考えてみて、何がそんなに気に入らないかというと、「癒し系」という言葉が持つ何ともいえない曖昧さ、言葉の持つ意味そのものを曖昧にしてうまいこと逃げおおせてしまおうというようないいかげんさに違和感を感じているのだと思う。
 「癒される」って、誰に?何に癒されるの?そもそも何を癒されるの?病気・傷・苦しみ。そりゃあ、生きていれば嫌なことだってある。苦しいことだってある。というか、生きるってのは苦しいことだろう。多分。28年も生きてきていまだによく分からないけども。僕らが毎日生きている苦しみや痛みはそんなわけの分からない、曖昧な音楽や写真ぺらやなにやらで「癒されて」しまうほど単純で浅いものなのだろうか。悲しくなってくる。
 一人の部屋で寂しいとき、寂しくて悲しくてやりきれないとき。どうするか。友達に電話をする。誰かと遊びに行く。それでもいい。けど、それは曖昧な「癒し」でしかない。本質的な解決ではない。パーティーの後はいつも虚しい。じゃ、どうするか。一人を楽しむしかない。一人を楽しむ方法を見つけるしかない。それは痛みをともなう作業だ。当然だ。真の「癒し」とは自分を苦しめる、傷つける様々な要因に真っ向から立ち向かってそれを排除することだ。戦うことだ。実体のない横道に逃げることではない。
 ベル&セバスチャンの新作。ここにははっきりと敵がいる。僕らを苦しめ、傷つける敵が。断固とした意思を持って毎日を生きるために、そいつらと戦う覚悟。強い音楽。自分の弱さを確認することでもう一度立ちあがる勇気を手にする、そんな音楽。自分を「癒す」ために、この静かなるアジテーションを聞きながら今日も僕はベッドの中でこぶしを堅く握り締める。