無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

脳力開発としてのプログレ。

Amputechture

Amputechture

 前作と同じく、オマーの指揮の下メンバーが各々に演奏したフレーズをオマーがたったひとりで編集するという形でレコーディングされたらしい3作目。一般的な「バンド」という概念とはやや異なる形式で製作されているが、今の彼らにはこうしたやり方が最も適しているのだろう。そもそもが、オマーという人の頭の中に在る音をいかに具現化するかということがマーズ・ヴォルタの唯一最大の目的でありテーマであるのだから。今作のカバーでもはっきり宣言されている。「オマー・ロドリゲス・ロペスとセドリック・ビクスラーのパートナーシップがマーズ・ヴォルタなのである」と。そして二人によって書かれた楽曲を演奏するのが「THE MARS VOLTA GROUP」であると。今作においては、そのメンバーの中にレッチリのジョン・フルシアンテも名を連ねている。
 音楽的には、前作までに提示されたマーズ・ヴォルタの世界をきっちりと推し進めたような内容で、ヴォーカルのメロディーと激しい曲でのサビ(らしき部分)のメリハリがより明確になっていると思う。とは言え、8分以上の曲が半数以上を占めている(最長は16分)ので、やはりとっつきやすくはない音楽である。しかし、この目まぐるしく変化する曲展開と、サルサを代表に様々な要素を練りこんだ複雑怪奇なグルーヴはあまりにも刺激的だし、全くダレることのない緊張感のあるサウンドはやはりすばらしく進歩的(プログレッシブ)であると思う。この音楽をロックと呼べるのであれば、ロックというのはまだまだ可能性があると感じさせられるのである。
 タイトルの"amputecture"というのは、"amputate(手足を切断する)"と"architecture"を組み合わせた造語であるという。歌詞を読んでも、やはり、その複雑かつ難解な比喩と散文的な記述からは具体的な意味を掴み取ることは非常に困難だ。「贖罪」「バフォメット(キリスト教における悪魔の1人)」等の言葉からは宗教的な内容が透けて見えるし、「殺虫剤」「白内障」など、具体的でちょっといやな雰囲気の単語も目に付く。彼らの音楽の底辺にあるものはやはり怒りであると思う。それも、直情的に発散させることのできる単純なものではなく、もっと、長い長い歴史の上に培われてきたもの。彼らの祖父のそのまた祖父の時代から受け継がれてきた生活に根ざすような類のもの。怨念と言ってもいいのかもしれない。それは、彼らがエル・パソという、メキシコ国境に近い、荒廃した土地に生まれ育ったことと決して無関係ではないのだと思う。
 前述のタイトルの意味から僕が連想したのは、手塚治虫の「どろろ」である。主人公の百鬼丸は、父親の醍醐景光が天下取りの代償として自分を48体の魔神に差し出したがゆえに、体の48ヵ所を欠損した状態で生まれてきてしまう。医者の手によって拾われ、義足や義手をあてがわれ人の体を得、成長した彼は完全な体に戻るために旅を続ける。彼が体の一部を持つ妖怪を倒すたびにその一部を取り戻すのである。
 マーズ・ヴォルタの音楽は、抑圧される弱者を生み出す社会に対しての怒りと、復讐と告発がテーマのひとつであると思う。音楽という唯一の信じられる武器を手に戦いを続けるオマーとセドリックは、これによって彼らの生まれついての欠損を少しでも埋めることができているのだろうか。その旅は、終わりを告げることがあるのだろうか。この長大なアルバムも、さらに壮大な物語の一部分でしかないのだろうか。そんなことを考えた。考えさせられた。毎回毎回、僕の持つ知力と感性をフル稼働させなければ、彼らの音楽と向かい合うことができない。本当に、素晴らしい。