無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

プログレとしてのレディオヘッド。

Hail to the Thief

Hail to the Thief

 ロックというのは極めて個人的な動機から鳴らされるものであると思うが、その動機とは結局自分と世界との距離感に起因しているものだと思う。世界と自分の間にはどれだけの深い溝があるか、ということだ。自分の置かれた状況、今いる世界に完全に満足している人間がいるとしたら、彼にはロックなど鳴らす必要はないのである。
 さて。その自分のいる世界はなぜこんなにも歪んでいるのだろう。なぜこんなにも絶望的なのだろう。自分と向き合い、世界と向き合い、その仕組みを読み取ろうとする音楽。その仕組みを解き明かそうとする音楽。そういうロックもある。一般にプログレッシブロックと言われるものだ。端的に言って『OKコンピューター』以降のレディオヘッドは前述の定義において、まさにプログレッシブロックであると僕は思う。そして今作も決してそこから外れてはいない。
 好き嫌いでいうと、僕は圧倒的にこのアルバムが好きだ。特に「ゼア・ゼア」からの後半の美しさはビートルズアビイ・ロード』のB面に匹敵するくらいだと思う。最初に聞いたとき、「ウルフ・アット・ザ・ドア」が終わった後、すうっと深呼吸をして落ちついてからでないと立ち上がることも出来なかった。そのくらい美しいメロディーと完璧なサウンドが全編を支配しているアルバムだと思う。
 音楽的にはバンドサウンドに戻ったといわれているけども、戻ったと言う表現は正確ではない。少なくとも『ザ・ベンズ』の時も、『OKコンピューター』の時も、レディオヘッドはこんな音を鳴らしたことはなかった。そして、『キッドA』、『アムニージアック』とは変わったと言うのも違う。少なくとも2001年の来日公演を目撃し、『キッドA』、『アムニージアック』の曲がとてつもないテンションとロック的なグルーヴでもってバンドサウンドとして再現されているのを体験した者なら、今作でのレディオヘッドが突然前二作と異なるバンドグルーヴを表現したとは言えないはずだ。彼らの表現は常に変化し続け、そして同時に常に一貫している。だから、次のレディオヘッドのアルバムがどのようなものになるのかは全く予想ができないのだ。ただ、これだけは言える。レディオヘッドは、トム・ヨークは常にロックであり、その音楽は僕達の、そして彼らのいる世界を俯瞰しているのだということだ。『キッドA』の頃からレディオヘッドについて回る「難解だ」と言う形容詞が僕にはどうしても理解できない。こんなに真摯に世界と向き合い、そこから見えるもの、感じるものを正直に音楽として表現しているバンドはいないだろうと思う。難解だと思うのだとしたら、それは僕達のいる世界そのものが複雑に歪み過ぎているということなのだと思う。