無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

プロディジー、7年間の落とし前。

Always Outnumbered Never Outgunned

Always Outnumbered Never Outgunned

 前作『The Fat of the Land』から実に7年の月日が経った。前作にハマっていたのは僕が新入社員のときだ。僕がいまだに職場ではペーペーのままであるのに対し、この7年でロック/ダンスシーンを巡る状況は大きく変わった。当時ロックは閉塞した状況からの進化を求めてダンスを迎え入れ、ダンスはメインストリームへの浮上を狙ってロックに目を付けた。まあ、実際はそんな単純な話ではないのだがあの時期、90年代後半にロックとダンスの幸福な共犯関係があったのは確かだろう。当時ダンスとロックの掛け橋となった代表的な存在はプロディジーケミカル・ブラザーズになる。ケミカル・ブラザースのロックへのアプローチが素直にロックファン的な愛情と熱意で成り立っていたのに対し、プロディジーのそれはもっと切羽詰ったものだった。
 プロディジーの作品は過激な攻撃性と挑発的な言葉、そしてそれを扇動する暴力的なまでに激しいビートで成り立っていた。それは正しいのは自分達であり、間違っているのは自分達を受け入れない世界の方であると言う確信に基づく周囲に対する違和感の表明であったと思う。世界からの違和を強く感じれば感じるほど、プロディジーの音はより激しく暴力的でなければならなかったのだと思う。「いつでも数で負けているが、士気では負けていない」というタイトルが物語るように、プロディジーの攻撃性はなくなったわけではない。が、このアルバムの音にはこれまでのような明確な暴力性は薄れている。全編通してキース・フリントのボーカルは排除され、ゲスト・ボーカルを呼ぶか、あるいはインストかという構成である。サンプリングを多用し、ロック的なサウンドアプローチというよりはリアム・ハウレットのDJ的側面が強調されたものになっている。前作のような強靭で革新的なサウンドを期待していた向きには不満も残る内容かもしれないが、僕はこれはこの7年で変化したかつてのシーンに対するみそぎ/落とし前のようなものなのではないかと思う。おそらく次のアルバムはもっと早いスパンで出るだろうし、それはキースのボーカルも復活し、本当に待たれていたプロディジーのネクストステージを開示するものになるはずだと思う。その前に、このアルバムはこういう形で作られなくてはいけなかった。そういうものなのではないかと思う。
 個人的にはリアム・ハウレットという人の音楽的な資質が確認できて興味深い内容ではあった。オアシスのギャラガー兄弟の参加も話題だけど、ジュリエット・ルイスのパンキッシュな姉御肌ボーカルが結構カッコよくハマっていて非常に好み。