無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

レイジ・アゲインスト・ザ・USA。

レッキング・ボール(初回生産限定盤)

レッキング・ボール(初回生産限定盤)

 1年以上前に出たアルバムなのだけど、ものすごく響く。当初聞いてたよりもむしろ今の方が重く、深く感じられているかもしれない。
 ブルース・スプリングスティーンという人は常に、アメリカという国を描いている。様々な視点で、様々な角度からだが、労働者や市井の人々の立場から描くという点ではキャリアを通じて一貫していると思う。その彼が、怒っている。先の大統領選挙でも論点になったことでもあるし、色々な所で語られているように、今のアメリカは経済格差が非常に大きい。わずか人口1%の富裕層が99%の国民を苦しめるということになっている。その歪みは様々な所にも派生し、ホームレスや労働者がウォール街近くの公園を占拠した「オキュパイ・ウォール・ストリート」運動も記憶に新しい。
 大統領が変わってもアメリカという国の構造はいまだ変わらず、状況は悪化するばかり。そのことに(それだけではないだろうが)、ブルースは怒りを現している。「俺たちは、自分たちでやらなくてはならない」そう歌う1曲目「ウィ・テイク・ケア・オブ・アワ・オウン」は、「国家はアテにならない。自分たちのことは自分で守るしかない」という最後通告に似たものだ。そのモードで、どん底の生活にあえぐ登場人物の姿を描く前半と、静かに、しかし力強く希望を見つけようとする後半の対比がアルバムを左右対象に構成している。その転換点である「ロッキー・グラウンド」から「ランド・オブ・ホープ・アンド・ドリームス」の流れが素晴らしい。「夢と希望の地であったはずのアメリカは一体何処に行った?」という悲痛な叫び。そこから、彼は希望は人々の連帯であると説く。横の繋がりであると。そうした内容のアルバムを、ブルースやフォークのみならず、アイルランド民謡やゴスペルのテイストを絶妙に交えながら綴っている。彼の音楽や言葉を理解するには、英語の壁はもちろんの事、アメリカという国の歴史や文化に深く通じなければならない。そこまでの知識がない自分は正直、表面的に感じているだけなのだろうと思う。それでも、この言葉は異国の僕の耳にも届く。
 それは本作に描かれた状況が、労働者の姿が、今の日本にも通じるものがあるからだ。為政者が変わっても状況は好転せず、「こんなはずではなかった」の繰り返し。冒頭の一文は、ここに掛かってくる。「メディアとしてのロック」なんてものは現在においては死語どころか存在すらあやふやなものだろう。しかし、ブルースのロックンロールは確かにそんな亡霊のような言葉を甦らせる力強さと説得力を持っている。ロックはまだ、こんな表現を作れるのだと思える。ボス、キャリア40年余り。最新の傑作。アメリカにはブルース・スプリングスティーンがいる。日本には、誰がいるだろう。そう思うと、少し沈んだ気になったりもする。