無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

なぜだか、俺は泣いてゐた。

町を見下ろす丘

町を見下ろす丘

 宮本浩次はここ数年、30を過ぎた男が感じる「人生とは、生きることとは何か」という命題と真剣に向き合う中で音楽を作ってきた。厳密には『ライフ』あたりからその兆候は現れていたが、はっきりとした形でそれがメインテーマとなったのは『』からだろう。自分の人生を振り返ることで生の価値、死の意味を問い直し、今いるこの場所を確認し、どこに向かうのかを考える。そうした、哲学的とも言える境地にエレカシのロックは足を踏み入れていた。
 『扉』というアルバムは非常に重厚であり、森鴎外の生涯を持ち出すなど、大衆に向けて放たれることを前提としたロックとしてはあまりにも敷居の高いテーマ設定と表現を持っていた。しかし皮肉なことに、宮本自身のそのテーマに対する情熱と信念は上がる一方だし、バンドも4人のアンサンブル重視のロックンロール回帰と重なって、演奏力としては過去最高といえる状態になっていった。『』ではその反動か、やや平易な言葉とシンプルなサウンドが志向されたが、根本のテーマは延長にあるものだった。
 そして、この新作である。これは、掛け値なしで素晴らしい。ここ数年の宮本のさまざまな逡巡が高いレベルで結実した傑作と言えるだろう。森鴎外永井荷風などを持ち出すまでも無く、非常に平易な言葉の重なりで、重く深いテーマを切々を紡ぎ出していく。ここでの宮本は自分のことを平然と「地元のダンナ」と言い捨て、森鴎外ではなく「自分の」歴史と戦うことで人生という重い命題を一般のロックリスナーの視点へと引きずり出した。現在の自分の抱える不安や絶望などを絶妙のリリシズムで語る「人生の午後に」をはじめ、緊張感を持って向かい合うべき曲が多い。少年時代の退屈と情景を描き出し人生を振り返る「理想の朝」の歌詞はかなり秀逸だ。本作のテーマそのものとも言える「シグナル」も名曲である。曲自体は重い展開を見せるものも多いが、ブリッジのメロディーがいきなりポップに響くなど、冗長を感じさせない。そして意識したのかどうかは分からないが、メロディーと言葉の抑揚が一致する場合が多く、非常にすんなりと歌詞が耳に入ってくる。「すまねえ魂」「流れ星のやうな人生」などは昨年のツアーから演奏されていたし、ソングライティングにかなり時間をかけてじっくりと練り込んだのではないかと思われる。どの曲も、ど真ん中には宮本自身の魂がどっかりと鎮座しているのだが、その描き方は非常に第三者的というか、どこか物語の語り部のような趣がある。自分の人生を俯瞰し、他人の人生を重ね合わせることで、一つの真実が見えてくるようなそんな作り方になっているのである。ここでいう他人というのは言うまでもなく聞き手自身のことであり、自分ひとりで突き詰めて作りこんだ以前の楽曲と違って、確実に聞いたものを巻き込んでいく、普遍的な力強さがあると思う。久々のコラボとなるプロデューサー佐久間正英の存在もこうしたバランスの良さに一役買っているのかもしれない。
 俯瞰。そう、宮本はまさに「町を見下ろす丘」に立ち、そこから見える自分の人生や他人の人生をこのアルバムに落とし込んだ。その結果、終曲では自分の人生に関わるすべての人、出来事を祝福する境地に至ったのである。今年で宮本は40歳になった。同年代、とは言わないがまあそんなに違わない年齢の自分にとっては、感じ入るところがあまりにも多すぎて涙が止まらないのである。人生も折り返し地点を過ぎ、先が見えてきたところで、後悔や絶望に苛まれることもある。こんなもんじゃねぇとイキがることにも疲れ、諦めと不甲斐なさに押しつぶされそうになることもある。しかし、宮本はこのアルバムでそんな人生にも小さな光を見つけ出している。火鉢に当たり部屋に引きこもって世を儚んでいた青年が15年経ってそんな境地に至ったのである。これを感動の物語と言わずして何と言おう。紛れも無く、これはロックがロックであるためのドラマツルギーである。
 デビュー以来18年。僕の人生の半分以上はエレカシを聞いてきたことになる。一緒に悩んで成長して年を取ってきた、ような気がする。身勝手な言い分なのは百も承知だけど、他人とは思えないんだよ、もう。