無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

勝敗無き日常の軌跡。

ライフ

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 あまりエレカシを聞かない人であれば前作『good morning(id:magro:20000507#p2)』での超がつくアグレッシブさと、今作の静寂なトーンとの落差に戸惑いを覚えるだろう。しかし、宮本浩次という人はそもそもそういう振れ幅を行ったり来たりするダイナミクスを持つ表現者であるし、それこそが彼の魅力でもあると思う。言ってみれば、前作はサウンドメイカーとしての宮本が前面に出たアルバムで、今作はソングライターとしての宮本が中心となったアルバムと言えるかもしれない。
 このアルバムには「勝利」、そして「敗北」という言葉が何度か出てくる。それを例えば『good morning』で振り上げた拳が空振りになってしまった(と、傍目には見える)ことを指すと思う人もいるかもしれないが、それはちょっと違うと思う。じゃあ、僕たちが生きるこの人生の中で勝利というのはなんなんだろうか。権力や金を得ることが勝利なのか?誰かを踏みにじって思う通りに事が運べば勝利なのか?生きていれば上手く行かないことや思う通りにならないこともある。というかそんなことだらけだ。毎日がその繰り返し。みじめな気持ちになることもあるだろうし、ぼんやりと空ろな気持ちで散歩する事だってあるだろう。もちろん、そんな中でちょっとした幸せを感じることもある。宮本はそんな毎日を「敗北と死に至る道が生活ならば」と表した。これは普通に世の中を生きている人達の多くを射抜く凄まじい浸透力を持った言葉だと思う。久々に聞いた、こんなフレーズ。おそらく誰しもが抱えているであろう日常の些細なつまずきやしこりを、宮本は自分を通して丁寧に静かなトーンで描いている。勝敗無きまま相変わらず続いて行く僕達の日常。聞いていて、これは多くの人に届くはずだ、伝わるはずだ、という彼の強い信念を感じる。そうした上での小林武史起用でもあるのだろう。きっとそうだと思う。
 前作あたりから、宮本は30を過ぎた自分の年齢と、自らの心象風景を曲の中で多く描写している。等身大の自分と、その日常を、矛盾も含め何もかも全てを音楽に投影しようとしている。かつて10年前に宮本は『生活』という、自分1人のためだけのアルバムを作った。その中で彼はこう歌っている。「歌を誰か知らないか?/つまらぬときに口ずさむ、やさしい歌を知らないか?」このアルバムに収められた曲はまさにそうした歌に他ならない。但し、それを宮本は自分のためと、プラス聞き手の共感を求めて歌っている。10年前と違うのはその点だ。しかし、これは紛れもなく宮本自身の日常から出てきた音楽であることに変わりはなく、だからこそ本作は『生活=LIFE』と題されているのだ。と思う。聞いていて、とても強い決意のような、腹括った感じがする。