無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

原始、女性は太陽だった。

Deep River

Deep River

 宇多田ヒカルが世の中の女性の表現者全てを代表しているなどとは決して思わないのだけど、このアルバムを、というか最近の彼女の曲を聞いていて思うのは、基本的に女性と男性とは違うよなあということだ。いや、当たり前のことではあるのだけど、もっとなんというか、根本的に、生き物としての腰の据わり方というか、腹のくくり方というか、そういうもののレベルが全く違うのじゃないだろうかという気がする。世界が終わる時に最後に生き残ってるのは女性なんじゃないか、みたいな。それはちょっと違うか。
 僕は自分で表現を生み出せない人間なのでアレだけど、そうでない人でも、このアルバムを聞いて「ああもうダメだ。これはかなわないわ。」と思う部分てかなりあるんじゃないかという気がする。すごく曖昧で抽象的な表現しか出来なくて困るのだけど、いや、別に困ることはないのだけど(どっちだ)、何度も何度も通して聞いて、頭に結局残ったのはそういうことだった。明日からもう少し(自分の)彼女に優しくしよう。
 宇多田ヒカルがどこまで自分のプライベートな出来事なり感情なりを音楽に投影しているのかわからない。わからないけれども、このアルバムの通奏低音としてどこか翳った、重さのようなものが流れているのをやはり僕は感じる。それはつまり「生きる」ということなのかもしれない。それをここまで幅広いポップスとして、そして表現としての純度を薄めずに出せるというのは本当にすごいことだ。
 彼女自身がアレンジやプログラミングに随分関わるようになって来て、音楽的なスキルも広がっているのだとは思うけど、全くそれをひけらかすことなく、それはただの手段であるというスタンスで音楽が作られているのは素晴らしい。多くのミュージシャンが見習うべきだと思う。