無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

世界は反転する。

coup d’Etat

coup d’Etat

 シロップってどんなバンド?と聞かれたときに、僕は「バンプ・オブ・チキンとスタート地点は一緒だけどベクトルが正反対なバンド」と答えることにしてた。でも、この祝メジャーデビューアルバムを聞いて、ベクトルもスタート地点もゴールも、同じなのか正反対なのかよくわからなくなってしまった。そんな比較をすること自体どうでもよくなった。
 等価な生と死の間で、生きる意味も死ぬ理由もどちらも唾棄すべきクソだ、と内側にひきこもっていたギターロックは、この新作で一気に外側に向かって爆発した。ここには「君は(僕は)死んだ方がいい」という空虚な諦念ではなく、とにかく生きるんだ、という儚くも強い意思がある。しかし当然それは単に生を肯定する前向きさであるわけはなく、その根底にはやはり自分自身はクソであるという動かない認識がある。その「生きる価値のない自分自身(もしくはアンタ)」は、逆に生きなきゃならないのだ、と歌っている。なぜなら、死んだら救われるからだ。生きる価値もないようなやつはとことん生きろ、生きたまま恥を晒せ、という開き直ったかのような闇雲な攻撃性をガンガン撒き散らしている。より鋭角的にクリアになったサウンドと、振り切れすぎてネジの外れた言語感覚はそのためのガソリンだ。どんなくだらない生も死によって永遠の美談に成り得てしまう。そんなこと許されていいわけはない。だから、生きる。このアルバムで五十嵐が言っていることはそういうことなのじゃないかと思う。「汚れたいだけ」。生と死でもLOVEとHATEでも過去と未来でも光と影でもなんでもいい。相対するものの意味と価値を反転させること、すなわち「クーデター」。そんな孤独な戦いに挑む彼らのロックは、だからこそ美しい。そう、The Smithsがそうであったように。
 持ち歩いてるものが宝石だろうが生ゴミだろうが、生きている間はそれはまがいものじゃない。その真実と向き合うための生で、それを確認するための死だ。歩み、生きろ。