無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

ポップスターの役割。

シンディ・ローパー  ザ・ベスト・オブ シンディ・ローパー イン コンサート
■2004/06/14@北海道厚生年金会館
 シンディ・ローパー。僕と同世代で80年代の洋楽を「ベスト・ヒットUSA」などで体感した人ならきっとこの名前のもつ響きには抗えないだろう。なんとも懐かしい、郷愁を誘う名前である。なんと言っても「ハイスクールはダンステリア」である。シンディ・ローパーが「ザ・ベスト・オブ」と冠したコンサートを行うと言うのだから、これは行かねばならない。
 会場は、当時彼女の音楽を聞いていたであろうやや年齢上目の人と、あとからベスト盤などで追体験した若いファンが入り混じっていた。実は僕は彼女のアルバムはセカンドの『トゥルー・カラーズ』までしかちゃんと聞いていない。それ以降はシングルのヒット曲を耳にした程度。しかし彼女のヒット曲の大半はデビューしてから数年の間に発表されたものであるので特に問題はないだろうと思っていた。
 登場したシンディは短めの黒いタイトスカート。髪は短めだけど、明るいブロンドのキラキラした感じは往年のままだ。表情は僕の席からはよく見えなかったけど、動きにしても非常に若々しく、年齢を感じさせないものだった。しかし、コンサートのオープニングを飾ったのは誰もが知っているヒット曲ではなく、最近のアルバム『シャイン』からのナンバーだった。このアルバムは最近日本でも発売されたので、そのプロモーションという意味もあるのだろうが、往年のヒット曲連発が聞きたいと思っていたファンはやや戸惑っただろう。何を隠そう僕もその1人だ。3曲目にやっと「チェンジ・オブ・ハート」を演奏したが、そのあとはまた新作からの曲が続く。デビューアルバムからの「シー・バップ」で会場は盛り上がったが、それも大幅にアレンジを変えて3拍子のアコースティック・ナンバーとして演奏された。彼女は非常に真摯なアーティストである。デビューのときのエキセントリックなスタイルにしても、世間の慣習やくだらない周りの雑音に抑圧されずに自分を解放するんだ、という彼女のメッセージの発露としてのものだった。彼女が曲にこめたメッセージを一言一言大事に客席に伝える姿を見て、そういうところが今でもファンをひきつける魅力なのだろうとも思う。そんな彼女が、成長し、経験も積んだ自分が20年前の曲を歌う時に形を変えることも非常によくわかる。しかし、彼女には自分が果たすべきポップスター、シンディとしての役目もある。往年のヒット曲を、昔のままのアレンジで聞きたいと思うファンの期待に応える義務がある。そこの意識が、「ザ・ベスト・オブ」と冠したコンサートとしては中途半端だった感は否めない。もしかしたら主催者側とシンディの意思疎通が希薄だったのかもしれない。そのくらい、この日のシンディの新曲を演奏する姿からは「私は終わってないのよ、まだ現役なのよ」というアーティストとしての意地が見えていた。
 後半、「トゥルー・カラーズ」、「アイ・ドローヴ・オールナイト」、「オール・スルー・ザ・ナイト」、「タイム・アフター・タイム」、「マネー・チェンジズ・エヴリシング」などのヒット曲が演奏されるとやはり盛り上がる。「トゥルー・カラーズ」ではシンディが客席にマイクを向け、観客もちゃんと英語の歌詞を歌うという、感動的なシーンもあった。これだろう、やっぱり。僕は3年前に東京でロキシー・ミュージックの来日公演を見に行ったことがあるけども、その時は衣装から演出からまさにファンが求めるロキシーミュージックをブライアン・フェリーはじめメンバー自身も楽しんでいた。往年のヒット曲が、ステージングが意味は変われどもいまだに超一流のエンターテインメントであることを証明する、素晴らしいライヴだった。新曲をやるのはもちろん結構なことだが、まず自分に求められる役割を引き受け、やり遂げてからのことなのではないだろうか。そんな思いが、ずっと交錯していた。ラスト、「ハイスクールはダンステリア」でこの日一番の盛り上がりを記録する。当たり前の話だ。みんなこの曲が聞きたいのだし、この曲を歌っているシンディが見たくて会場に足を運んだのだから。コンサートの最初からこの雰囲気だったらもっとよかったのにな。極端に言えば最初と最後、2回この曲やってもきっと誰も文句は言わないだろう。とりあえず僕はこの曲が生で聞けてとてもうれしかった。
 例えば今a-haのコンサートがあったら「テイク・オン・ミー」が聞きたいだろうし、カルチャークラブのコンサートがあれば「カーマは気まぐれ」をやらないのはウソだろう。この日のシンディには、自分の現在地を主張するよりも過去の自分を相対化した一流のエンターテインメントショウを見せてほしかった。僕は「グーニーズはグッド・イナフ」が聞きたかったんだよ。