無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

6本の狂ったハガネの振動。

ZAZEN BOYSII

ZAZEN BOYSII

 今年出たロックアルバムの中で最もロックなアルバムかもしれないと思う。傑作。NUMBER GIRL後期(『NUM HEAVYMETALLIC』)のあたりから、向井秀徳の作り出す音楽はとにかく「覚醒」している。世の中の様々なウソ、欺瞞、退屈、無気力、馬鹿、いろんなものがはっきりと見えて来てしまっている。見え過ぎてしまっている。分かってしまった。分かってしまった以上表現者としてそのことを無視して音楽作ることはできん。この頭の中にある感覚をいかに言葉と音に落とし込んで表現できるか。向井秀徳のミュージシャンとしての力点は常にここにあるのではないかと思う。彼の曲に頻繁に同じキーワードが出てくるのは結局それが彼の頭の中にあるものであり、「分かってしまって」いる以上他に代替できる言葉がないからなのだ。
 ZAZEN BOYSというフォーマットを手探りで模索していた段階の前作とは異なり、バンドに対する確信が後ろ盾になって向井は上記の「自分の頭の中の感覚を鳴らす」ことに前作よりもストレートに注力できるようになったのではないかと思う。言葉も音も向井の頭の中にあるものをまんま出してきたという印象がある。さらに顕著になったニューウェイブ/ディスコ趣味的なサウンド処理も、前作には無かったNUMBER GIRL的な楽曲(「黒い下着」や「DAIGAKUSEI」など)も、今作が見せるアルバムとしての広がりは結局そこに起因するような気がする。
 「分かってしまった」「気づいてしまった」人間がストレートにそれを口にすると幼稚な子供の意見とかイッてしまった危ない人間の意見だと思われることが多い。そうすると保守的な人間は離れていき、いわゆるメジャーでは思うような活動ができなくなってしまう。しかし向井が偉いのはそれであれば自分の思うままに表現ができる場所を自分で作り、それを維持するシステムを自分で構築してやればいいと行動するところだ。多くのロックファンの向井に対する全幅の信頼はそれゆえのものだと思う。
 ゆらゆら帝国なんかにも感じることだけど、明らかに「向こう側」の視点から「こちら側」の醜悪さを暴く瞬間にとてつもなくロックを感じる。狂っているのはオレたちなのかお前らなのか。その境界線は限りなく曖昧で同時に絶対的なものとして存在している。このことを理解しているか/感じているのかということは、「ロック好き」という人たちを確実に二分するものなのではないかと僕は思う。