無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

UA〜Turbo Tone'99

■1999/11/17@Zepp Sapporo
 まず最初に、こんなに近い位置で見れるとは思わなかった。ステージからはほんとに7〜8mの距離。僕の前には4、5人しかいない。かといっておしあいへしあいするでもなく、落ち着いて楽しめました。
 新作『turbo』はレゲェ/ダブで統一した作品だったが、そのテイストそのままにライブは始まった。オープニングは「ノハラソング」。ライジングサンでラストに(しかも予定外に)歌ったこの曲で幕を開けた。新作からの曲を中心に淡々と、しかし圧倒的なテンションと完璧な歌唱で濃密な空間を紡ぎ出す。 ライジングサンの星空の下でのステージとは違うわけだが、客席を包み込むボーカルの存在感は変わることはなかった。圧倒的だった。
 中盤に差し掛かると『11』、『アメトラ』からの曲が挟まれる.が、そのどれもが全く新しく形を変え目の前に現れた。「情熱」も「太陽手に月は心の両手に」も完璧にダブサウンドとして生まれ変わっていた。もともとダウナーだった「青空」、「空耳ばかり」といった曲はアレンジこそ然程違わないものの確実に説得力を増していた。鳥肌ものである。アルバムでは徹底的にダウナーに処理されていた「数え足りない夜の足音」はシングルバージョンを凌ぐほどのダンスサウンドとなっており、この夜一番の運動量を観客に課した。彼女の声と歌そのものをじっくりと聞かせるためにこのダブサウンドというのは非常に適した方向性だといえる。基本的にバックの音数はあまり多くなく、重低音を強調し意図的に音の隙間を増やしている。その隙間を埋めるのが他でもないUAの声なのだ。楽曲の音楽的処理の最も重要な部分を(当然ながら)担当し、なおかつその詩の世界に聞き手を否応なく引きずり込むUAの力量は並じゃない。現在巷に溢れるR&Bシンガー達のほとんどが逆立ちしたって敵わない所以である。
 観客はゆったりとしたリズムに身を任せ、それぞれに体を揺らす。気を失うほどの熱狂はそこにはない。が、決してたるむことなく繰り出される音像は心地よい火照りを体に残す。今のUAが追及するサウンドからして最初から最後まで盛り上がり続けるアッパーなライブにはなり得るはずもないし、彼女はもともとそういったアーティストではないだろう。個人的にはもう少し昔の曲をやってほしい、とも思ったがここまで完成度の高いステージを見せられては何も言えない。あくまでこれが現在のUAだということなのだろう。新作中でも最もハッピーで優しく、暖かい「スカートの砂」で本編は終わった。
 アンコールは圧巻の一言。盛り上がる曲はなし。アコースティック中心に「ストロベリータイム」「午後」の浅井健一作曲の2曲を歌い上げる。特に「午後」は圧巻だった。スティールパンとUAのボーカルのみから始まりパーカッションがからまり、アコースティックギターウッドベース、キーボードとバックの音が重なっていき、ラストは一気に温度が2桁は上がったかのようなとてつもないテンションになっていた。言葉もない。久々に体が震えるような気分だ。ラストは「ミルクティー」。ほとんどアカペラで歌い上げて、完っ璧に観客を向こうの世界に連れていった。ステージから彼女が去った後も、僕はしばらくその場所から動くことができなかった。
 ただ、UAってしゃべるとお茶目でかわいいんだよな。これだけすごいステージをやって、カリスマ性もあるのに決して「あっちの人」にはならない。それも含めて稀有なアーティストだな、と思った。いい夜でした。
turbo