無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

成熟という名のドラマ。

By the Way

By the Way

 前作『カリフォルニケイション』はとてつもなく感動的なアルバムだった。ジョン・フルシャンテの帰還という大きなドラマが当然その中心であったのだが、その結果レッチリというバンドがもう一度バンドとして一つとなって音楽に向き合い出したことを作品そのものが雄弁に物語っていたことがなによりも心を打ったのだった。今作はジョンの音楽的才能が止めど無く溢れていることがバンドを前進させているということを示すアルバムになっている。とにかく、彼のギターがすごい。1曲1曲、1つ1つのフレーズにこめられたアイディアとひらめきにはあ然とするばかりだ。実にアーティストとして脂が乗り切っている時期といっていいのだと思う。ジョンの仕事は本当に素晴らしい。
 といっても、他の3人が何もしていないというわけではもちろんなく、アンソニーもフリーもチャドも相変わらずやっぱり素晴らしいのだ。ただ、かつてのようにフリーのバッキバキなファンキィベースが唸りをあげ、アンソニーのラップが唾を飛ばすような楽曲は確かに少ない。メロディーはさらにエモーショナルにメランコリックになり、歌詞の内容も人生の深みを掘り下げるようなものが増えた。それはロックバンドとして角が取れたということか、と言うとそれもまたやはり違うと思う。さすがにちんぽにソックスはどうかわからないが、頭に電球くらいはやってしまいそうなやんちゃさを今でも彼らは感じさせる。前述のような変化は何かと言ったら、簡単に言えば成熟と言うことなのだと思う。オルタナ、ミクスチャー、ラップ・ロック、世の中に溢れる音楽が過ぎては消えて行っても、レッチリは常にレッチリであり続けた。気がついたら、彼らしか残ってなかった。誤解を恐れずに言うなら、U2R.E.M.と同じ場所に彼らはやってきたのだと思う。僕にとってのロックというのは大概ドラマチックでありロマンチックであるものなのだけど、薬漬けだったバカバンドは誰からも尊敬を集める最高のロックバンドになった、というレッチリの軌跡はまさしくジャストミートしてくる。そこに、ジョンの離脱と帰還、そして成熟というドラマが絡んでくるのだから。そんなことを思いながらこのアルバムを聞いていると本当に泣けてくる。願わくば、自分もこんな年のとり方ができたらなと思う。