無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

博士の異常な愛情。

Human Conditions

Human Conditions

 僕は、前作『Alone With Everybody』は悪いアルバムじゃないとは思いつつも違和感を感じずにはいられなかった。その違和感というのはあまりにあからさまで肯定的な愛という概念の表出によるものだったと思う。さらにものすごく下卑た言い方をすれば、ぶっちゃけた話結婚して幸せになってジャケットでキスシーンまで開陳して、それでいきなりお前愛だよ愛、かよ。みたいなね。そういう非常にひねくれた聞き方をこちらもしてしまっていたような気がする。
 しかしよく考えてみればリチャード・アシュクロフトという人は昔から愛を歌っていた。その愛が、個人的な動機によるものと映ってしまったことが前作の不幸ではなかったか。その点からすると、先行シングル「チェック・ザ・ミーニング」からして今作は視点が一気に広がっている。今作もやはり愛に貫き通されたアルバムではあるのだけど、その愛がもうとんでもないことになっている。人類とか、地球とか、宇宙とか神とか、広げた大風呂敷のデカさたるやとても個人が背負うことなどできるレベルのものではない。しかし、リチャードという人はそれを歌ってしまうし、歌わなくてはならないと思っている。なぜなら、それが自分の使命だと彼は思っているからだ。彼が愛を歌うのは自分が幸せであるからではなく、世の中にはあまりにも愛が足りないし、誰も彼のように愛を正面から歌わないからだ。少なくとも彼はそう信じている。究極まで膨れ上がった愛と言う名の誇大妄想。そんなアルバムだと思う。特に「サイエンス・オブ・サイレンス」からの流れは圧巻。狂い咲く流麗なストリングスはサイケデリックな風景を喚起させ、叙情的なメロディーと彼の声は彼岸の果てから流れてくる子守唄のようだ。リチャードという男は、やはり狂っている。愛と美と音楽に魅せられた狂人としての先達であるブライアン・ウィルソンとの共演もある意味当然のことなのかもしれない。